受難週(ヨハネ12:1~16)

過越の祭りの6日前に、イエス様はベタニヤにおられました。
そこには、死んで4日経ったにもかかわらずイエス様によってよみがえらされたラザロがいました。その奇蹟は大きな反響を呼び、その為に様々な人々がイエス様についてきました。
人々は、イエス様のために晩餐を用意しました。そこにマリヤが現れたのです。彼女は純粋なナルドの香油300グラムを取ってイエス様の足に塗り、彼女の髪の毛でイエス様の足をぬぐいました。しかし、その行為はユダをいらだたせました。「貧しい人のために使うべきだ」とは言ったものの、彼の「もったいない」という思いは、正しい思いからきたのではなく、盗みをしていた悪の心(お金への執着心)から出てきた思いでした。彼はイエス様の弟子でありながら、イエス様がどのような方かを最後まで理解することなく、イエス様を裏切ります。
しかし、その頃の弟子達は皆、イエス様のことを「イスラエルの国を再建するために遣わされた救い主だ」と理解していました。
しかし、実際はそうではありませんでした。彼等は、自分の目の前でイエス様が十字架に架かられ、死なれるのを目の当たりにし、自分たちはイエス様のことについて何も理解していなかったのだと気付き、落胆します。十字架にかかられる前、イエス様は何度も弟子達に話したのです。しかし、その時の弟子達には、それを理解する力がまだ備わっていませんでした。
イエス様は救い主としてこの地上に来て下さいました。しかし、その救い主は、十字架でご自分のいのちを捨てるために来られました。「人の罪のために、罪のない方が身代わりとなって罰を受ける」という、これが神の国の救いのご計画だったのです。
しかし、以前は理解することの出来なかった弟子達も、十字架の死から三日目によみがえられた復活のイエス様に会い、聖霊に満たされた時に、すべてのことが理解出来るようになります。
イエス様がエルサレムに入城された時、ロバの子を見つけてそれに乗られました。人々はしゅろの木の枝を取り、「ホサナ、祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」と叫びました。それは「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」(ゼカリヤ9:9)の預言の成就でした。
イエス様は、聖書が書かれてある通りに、救いの道を歩まれました。弟子達は、聖霊を受けた時に、霊の目が開かれて本当の意味で聖書に書かれてある救い主はイエス様なのだと理解することが出来たのです。
聖霊に満たされる時、私たちの思いや考え(心)は、神の国の考えを受け入れることが出来るようになります。
十字架、復活、罪の赦し、などは世の中の人には到底受け入れられないものです。しかし、私たちは覆いが取りのけられて、真理を知る力が与えられているから感謝です。
この一週間、神様の愛から出る救いのご計画に感謝しつつ、聖書を読み、聖霊によって悟りと理解を与えていただきましょう。