クリスチャンのアイデンティティー

私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」           イザヤ6:8
今日ほど、世が乱れ、混乱した時代はかってありませんでした。毎日のように新聞テレビ等のマスメディアを等して、流れるニュースは、悪質な犯罪があまりにも多く視聴者を震撼させるものさえあります。どうしてこのような犯罪が多くなってきたのでしょう。どうしてこのような乱れた世の中になってきたのでしょうか。先日東京の秋葉原で7名の人が殺され11名の人が刃物で刺された通り魔殺人事件で予告をした25才の青年は「この計画を誰かに止めてもらいたかった」と言ったというのです。
自分以外の力が働いているのです。自分で自分を制することが出来ないでいるのです。
 かっては日本人は、国のため、一族のため、また、家族の一員としてのアイデンティティーを持っていました。犠牲を払い、自分の存在感を確認して働いたものです
ところが、戦後は、民主主義を謳歌して、自由という個人主義が浸透して人生を愉しんでいるようですが、多くの情報に翻弄されて、アイデンティティーを見失っているのです。また、比較社会の中で敗北感をだいて、自分を人生の失格者のように思い、無能な者と自己評価を下して、ついには、その反動でヤケッパチになり、とんでもないことをしてしまうのです。秋葉原の事件がその例です。クリスチャンとて油断をするとサタンにだまされて同じ事になりかねません。イザヤのように主との出会いを経験して聖霊に触れられて新しくされて、主の御声に耳を傾け、「誰か、私のために遣わそうか」と御声が掛かったならば、躊躇なく「わたしがここにおります。 私を遣わしせて下さい」と言えるように、内なる者を常にととのえて参りましょう。これがクリスチャンのアイデンティティーなのです。

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