イエス様はよみがえられた(ヨハネ20:1~18)

 私たちクリスチャンは、イエス様の「復活」に「信じる価値」を見い出します。何故なら、イエス様が死を打ち破り、復活された神の子であるからこそ、聖書のことばに神の力を感じ、信じる価値を見い出すのです。
 イエス様は、私たちの罪を赦すために十字架に架かって下さいました。イエス様は「父よ。彼等を赦して下さい。彼等は何をしているのか分からないのです。」と、自分を釘付けにした人達の為にとりなしの祈りを捧げました。また自分と同じく十字架にかけられた強盗にたいし、彼の悔い改めを見て「今日、あなたはわたしと共にパラダイスにいます。」と言われました。イエス様は十字架上で「主よ。何故わたしをお見捨てになったのですか。」と叫ばれました。父なる神から一瞬でも離れることはイエス様にとって大きな痛みでした。しかし、私たちを罪から救う為に、心と体のすべての苦しみや痛みに耐えて下さったのです。またイエス様は「わたしは渇く」と言われました。それは私たちの霊に対して渇いているという心の叫びでした。そして「完了した」と言われたのです。それはすべての救いにご計画、贖いが完了したという意味でした。そして最後に「我が霊をあなたの御手に委ねます。」と言われ息を引き取られました。
 イエス様の救いが完成した時から、私たちは恵みの時代を生きることが出来ています。今は恵みの時、今は救いの日です。イエス様を受け入れるならば、私たちは罪から解放され救いを受けることが出来るのです。
 イエス様が死なれてから3日目にマグダラのマリヤが墓に香油を塗るために来ました。彼女はかつて7つの悪霊を追い出していただいた者です。彼女はイエス様によって人生が変えられ、喜びの人生を送ることを許されました。墓に来ると、イエス様の亡骸はありませんでした。マリヤはその状況を見て、誰かがイエス様の亡骸を盗んだものと思い嘆き悲しんでいました。しかしそこにイエス様が現れて下さったのです。イエス様は、ご自分が預言されていた通り、十字架に架かられましたが3日目によみがえられました。マリヤは、復活の主に出会ったことにより、イエス様こそ神の子であるという大事な証人となったのです。
 イエス様の復活は、イエス様が神であることを示すと同時に、聖書のことばが神のことばであるということも示しています。ですから、イエス様の「復活」が私たちの希望となっていることを知ります。
「~そして、もしキリストがよみがえらなかったなら、あなたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。~しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」 (第一コリント15:13~20)
 私たちは、イエス様の復活の恵みに預かっていることを覚えましょう。復活があり、今も生きている方だからこそ、私たちはまた再びイエス様がこの地に来て下さるのを期待して待つことが出来るのです。