ザアカイの渇き(ルカ1:1~9)

ザアカイは、エリコという町の主税人の所長でした。
主税人とは、ローマの手先となって民から税金を取り立てますので、それだけでも忌み嫌われる存在であるのに、ザアカイは必要以上に税金を取り立て私腹を肥やしていましたので、当時のユダヤ人の全ての者から嫌われ、「罪人の頭」と呼ばれていました。 
 彼が、不正をしてまでもお金持ちになろうとしたのには2つの理由がありました。まず一つは、お金さえあれば幸せになれると思っていたからです。豪華な家に住み、あり余るほどの食物があり、使用人が多数彼に仕え、彼はそれらで満足を得ようとしました。また二つ目は自分のコンプレックスを見返せると考えていたからです。彼はとても背が小さく、それゆえ彼は人間関係において苦しみました。彼は、お金さえあれば、バカにされることはない、と考えたのです。
 しかし、お金持ちになったものの、彼の心は寂しさでいっぱいでした。何故なら、彼を心から愛してくれる人がいなかったからです。
 私たちの生活もそうです。お金が私たちを幸せにすることはありません。一時的に表面は潤されていても、しばらくすると心の中は渇いて苦しくなるのです。
 ザアカイは「失われた魂」でした。「誰も助けてくれない、誰も愛してくれない、誰にも相手にしてもらえない、誰もこの心の苦しみを理解してくれない」、そのような孤独の中にいました。
 イエス様は、このような「失われた魂」を救う為にこの地に来て下さったのです。「失われた魂」とは私たちのことです。
 ザアカイがイエス様を見る為に、いちじく桑の木に登りました。ちょうどイエス様はそこを通られ、ザアカイを見上げ、声をかけられたのです。「ザアカイ、わたしは今日、あなたのところに泊まることにしてあるから。」
 イエス様はザアカイを初めてご覧になったのに、彼の名前を呼ばれたのです。ザアカイの心は喜び踊りました。ザアカイの飢え渇きにイエス様は答えて下さり、愛を注がれました。
 ザアカイは、心から喜んでイエス様をお迎えし、そして彼は救われたのです。なんと素晴らしいことでしょう。イエス様をお迎えするならば、「罪人の頭」と呼ばれた者も新しく変えられるのです。
 彼は「財産の半分を貧しい人に施します。だまし取ったものは4倍にして返します。」と言いました。
 彼は、今までお金がすべてだと思っていました。しかし、イエス様に出会った時、それらのお金は貧しい人たちのために使うべきだという考えに変わったのです。ザアカイは本当の幸せを手に入れました。
 ザアカイがイエス様に愛されたように、私たちも神様によって愛されている者です。私たちが自分のためにではなく、イエス様を喜ばせる生き方をするなら、私たちは幸いな者となることが出来るのです。
 ザアカイには渇きがありました。私たちは、イエス様によって愛が与えられ、幸せが与えられ、満足が与えられ、渇きが癒されることを知りましょう。私たちは、イエス様によって祝福されています!!