イエス様の深い愛(マタイ8:1~4)

 ツァラァトとは、当時は不治の病と言われていたほどの、大変直りにくい重い皮膚病の一種で、その病名は「汚れ」「しみ」を意味しました。いったん「ツァラァト」と祭司によって宣言されると(レビ記13章)、生活が一変します。彼等は衣服を引き裂き、髪の毛を乱し、口ひげを押さえて「汚れた者」と宣言しつつ歩き、宿営の外に隔離された状態されるのです。彼等は、人々に近づくことも、神殿に出入りすることも許されませんでした。
 ここに、ツァラァトに冒された人がイエス様のみもとに来ます。
彼の行動は非常に大胆なものでした。しかし、彼の心は「このお方なら、私をきよめて(癒して)下さる!この方が私たちの待ち望んでいた神の子、メシヤだ!」という確信で満ちていたのです。
 そうして、彼はイエス様のみもとでひれ伏し、礼拝を捧げました。 イエス様は彼の心を見て、手を伸ばし、彼に触れ、「わたしの心だ、きよくなれ。」と言われました。すると、彼の体はきよめられ、完全にツァラァトが癒されていたのです。
 彼がツァラァトに冒されていた時、皆が彼を「汚れた者」と言い、遠く離れました。汚れがうつるからです。
 誰でも、他人が伝染病にかかったと知ると、その人から離れようとし関わるのを拒否しようとします。しかし、もし今目の前で自分の子供が伝染病にかかり、苦しみ、助けを求めていたら?
 多分あなたは子供に近づき、抱きかかえ、「大丈夫だよ。」と声をかけ続け、解決策を求めるでしょう。 
 イエス様は、彼がみもとに近づいた時、遠ざけることはしませんでした。苦しんでいる我が子を見るように、本当に深いあわれみの心を持たれ(マルコ1:41)、彼の患部に手を伸ばし、触られたのです。 彼は、今まで感じたことのない愛の飢え渇きを覚え、心が震え、イエス様に触られたことにより、心の傷も含め、全てが癒されたのです。 旧約ではモーセがツァラァトに冒されました(出エジプト4:1~8)。それは、エジプトのパロに神様が共にいるという全能なる神様の力を示すためのものでした。またモーセの姉であるミリアムがモーセに不満をもらした時(民数記12:5~16)、神様は彼女に罪を示すため、7日間ツァラァトに冒し、悔い改めさせました。
 聖書に書かれてある「ツァラァト」にはちゃんと意味があります。
①人が罪深い者であることを示すため、②罪の解決はイエス様の十字 架以外にはないこと。
 当時は治すことは困難と言われていたツァラァト。旧約を見ると分かるように、神様にしか癒すことの出来なかったツァラァト。
 新約の時代。ツァラァトに冒された者が、イエス様のもとに行けば、一瞬にして完全に癒されたのです。これはイエス様こそが神であるという証でした。
 イエス様は、私たちの心をご存じです。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情出来ない方ではありません。」(ヘブル4:15)
その愛は深く、自分を犠牲にしてまでも助けようとして下さるほどです。私たちは、イエス様の愛を一時も忘れず感謝を捧げ続けましょう。

(富高美和伝道師)