信仰の試み(マタイ15:21~28)

 このところは、イエス様が異邦人であるカナンの女の信仰を賞賛された記事です。この女の信仰の姿勢を見てみましょう。
 この女性には、悪霊につかれた娘が居ました。娘がどのような状態であったのかは記されては居ませんが、愛する娘が悪霊につかれている様は、母親にとって大きな心の痛みであったであろう事は、この記事を読んでいると誰でも察する事が出来ます。
このカナンの女性は、イエス様を「ダビデの子よ」と呼んでいます。何故なら、この方こそ、ユダヤ人が待ち望んでいた「メシヤ」であると信じていたからです。 そして、自分の問題の解決がこの方にあると信じました。
これが、信仰の鍵です。
①イエス様をメシヤと(救い主)信じたこと
(マタイ16:19)「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。 何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
②カナンの女性が、イエス様に訴えたのは、「娘を哀れんでください」ではなく「私をあわれんでください。」と言っていること
  ここが信仰の肝心要な所です。これは、娘の問題ではなくて、私の問題であるとしてイエス様に救いを求めたのです。
③叫びを無視されてもあきらめない信仰(23節)
④拒否されてもあきらめない信仰(24節)
⑤子犬呼ばわりされてもあきらめない。屈辱的な言葉をかけられても、それを受け入れ、尚をへりくだる信仰の姿勢(25節)
⑥彼女の飢え渇き
 「しかし女は言った。主よその通です。ただ子犬でも主人の食卓からから落ちるパンくずは戴きます。」
 この①~⑥までカナンの女の信仰の姿勢でした。これを見てイエス様が「ああ、貴方の信仰は立派です。」と言われたのです。
 あなたの信仰がぶれないために、以下の御言葉を心に留めてまいりましょう。
(ヘブル12:5)「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
 「訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなた方を子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」
(12:5)「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。」
 (12:11)「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」
 (11:6)「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」