母の日記念礼拝

 母親の存在は、家族にとって、特に子供にとってはとても大きいものです。母親は我が子を愛し、子供を守り育てます。
 今日は、聖書から一人の母親に注目し、その姿勢に学んでまいりましょう。
 第一サムエル記1章には「ハンナ」と言う女性が出てきます。
彼女は、一番最初に与えられた我が子を神様の御用の為に捧げた素晴らしい人です。捧げられた子供はすくすくと育ち、イスラエルの「大予言者」となり、「国」を導く偉大な人物となります。
 その背景にはこのようなことがありました。
ハンナは、結婚後なかなか子供が与えられず、周囲からは「呪われた女性」として見られ、大変苦しい日々を過ごしていました。そのような中、もう一人の妻ペニンナは、自分には子供が多く与えられていることに優越感を持ち、ハンナをいらだたせるようなことばかりをしました。しかし、ハンナは苦しみの中においても祈ることを知っていました。
 彼女は、自分の問題を主のもとに持って行き、こう祈ったのです。「万軍の主よ。もし、男の子を授けて下さいますなら、その子の一生を主にお捧げします。その子の頭にカミソリを当てません。」と。
 ここで、学ぶべきことは、「自分の抱えている問題は、人ではなく、神様のもとに持っていく」ということです。それは「祈り」です。
彼女は「その子の頭にはカミソリを当てません。」と言いましたが、それは「ナジル人」を表し、特別に神様の働きのために聖別された人を指しました。彼女はまだその子を見てはいないけれど、信仰によって我が子を完全に神様に捧げることを約束しました。
 また、彼女は聖霊に満たされて祈りました。その姿は祭司エリから「酔っぱらっている」と誤解されるほど、聖霊様のご臨在溢れる熱心な祈りであったのです。彼女の口からは自然に異言が出ていたのでしょう(使徒2章)。異言の祈りは神様との関係を親密にします。そして聖霊が働かれる時、心の内に信仰による「確信」を得ることが出来ます。
 彼女はエリによって「安心しなさい。神様がその願いを叶えて下さるように。」という言葉をいただいた時、「確信」が主から来たものと「確認」し、彼女は問題から解放されたのです。その時はまだ状況は変わっていませんでしたが、彼女はもはや以前のようではありませんでした。
 私たちも、何か問題が起こるならば、まず神様のもとに持って行き、異言で祈る必要があります。そしてその中で神様から「確信」をいただくのです。
 ハンナは、信仰の通り男の子を生むことが出来ました。そして、神様と約束した通り、その子が乳離れした時、犠牲の捧げ物を携えて宮に行き、息子を神様の御用のため捧げました。
 偉大な大予言者が誕生した背景には、ハンナという母親の熱い祈りの姿があったのです。
 私たちは、神様のご計画が私たちの思いよりも遙かに高いことを知る必要があります。神様に全てを委ね、いつも祈る者となりましょう。