聖霊と共に

「~わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救いだそう。~」(イザヤ46:1~8)
 イザヤの預言は、「イエス様がどのような方か、何をなさるのか」を中心に書かれてあります。イザヤ53章の預言通り、イエス様は私たちの罪の贖いのために十字架に架かり、死なれ、三日目によみがえられました。死を打ち破ったこの奇蹟により、イエス・キリストが全能なる神であることを人々に示されました。
 46章の冒頭には、「偶像には何の力もない」ということが記されています。「ベル」「ネボ」は当時の異邦の神々のことです。これらはすべて人間の手によって作られたものです。ですから、偶像には初めから力は備わっていません。
 しかし、私たちの信じる神様は違います。私たちが神様を造ったのではなく、神様が私たちを造られたのです。私たちは、神様のご計画により、母の胎の中で組み立てられ、この世に送り出された者です。 この世で生きる中で、様々な問題があり、悩みがあります。
ダビデはこのように詩っています。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)  
彼は、苦しみの中で神様の慰めを知り、すべてのことを益と変えて下さる神様の愛を知りました。
 イエス様は「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)と言われました。私たちの人生の重荷はイエス様のもとに持っていく必要があるのです。イエス様のもとに来るなら、私たちの人生の重荷は消え去り、新しい人生を歩むことが出来ます。イエス様は全能の神様です。私たちを造られた神様です。ですから、私たちを新しく造り変えることがお出来になるのです。
 神様は「あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。」と言われます。神様は、私たちを人生の問題から救って、安らぎを与えて下さる方です。(マタイ11:28~30)
 今、私たちがすることは、イエス様と共に歩むことです。そして、イエス様から学ぶのです。そうすれば魂に安らぎが来ます。
ここから、私たちの新しい人生がスタートするのです。
 天に昇られたイエス様は、約束通りに聖霊を送って下さいました。今は、この聖霊様が働かれる時代です。聖霊の働きにより、イエス様が神様であることを知ることが出来ます。そして、信仰生活を力強く歩むことが出来るのです。
 使徒の働き2章からは聖霊の力強い働きについて書かれてあります。聖霊が下った時、弟子達は全く新しく変えられ、命をかけてイエス様のことを証しするようになりました。今日も、聖霊様は私たちと共におられ、 力強く導いて下さっています。感謝しましょう。