クリスチャンの生き方

 神様は、私たちにこの世の人々とは違った生き方をしなさいと言われます。ローマの12:14にはこう書かれてあります。
「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。~もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによってあなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって善をもって悪に打ち勝ちなさい。」
 神様は、「呪う者を祝福し、迫害する者のために祈りなさい。」と言われます。どんな時にも兄弟を愛し、全ての者を受け入れることが神様のご命令です。
 創世記9章には、ノアがお酒によって天幕の中で裸になって寝ていました。息子のハムは、その滑稽な姿を見て、兄弟達を呼びました。しかしセムとヤペテは、背を向けて父の裸を見るのを避け、着物を取って父の体を覆いました。ノアが目覚め、その一部始終を知った時、彼は「のろわれよ。カナン(ハムの子孫)。兄弟たちのしもべとなれ。」また「ほえたたえよ。セムの神主を。カナンは彼等のしもべとなれ。神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼等のしもべとなれ。」と言いました。
 家の長であるノアに対する態度によって、息子達の将来が位置づけられました。私たちは、この出来事に習って、ハムのように人の恥を笑うのではなく、セムやヤペテのように、人の恥や人の罪を覆ってあげれる存在へと成長したいのです。愛し合うとは、そういうことです。私たちは、新しく生まれた神の子どもらしく、愛し合って受け入れ合って生きていきます。
 例え、どんなにつらいことをされたとしても、神様は「復讐はわたしがすることである。」と言われますから、私たちは自分で復讐することは考えません。すべてのことをご存じである神様にお委ねするのです。そうすれば、神様が正しい裁きを行って下さいます。問題が起こり、心に葛藤が起こった時、まず主に委ね、祈るのです。そうすれば、祈りの中で問題の解決の確信が与えられ、心は平安になるのです。
 箴言25:21には「もし、あなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、水を飲ませよ。~主があなたに報いて下さる。」と書かれてあります。また28節には「自分の心を制することが出来ない人は、城壁のない、打ち壊された町のようだ。」とあります。城壁のない町はたやすく敵を侵入させてしまいます。よく覚えておいて下さい。心の侵入者はサタンです。私たちは城壁を高く築くことが必要です。私たちの心を守るのは聖霊の力です。聖霊が私たちを敵から守って下さるのです。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)
 人間の愛には限界があります。しかし、新しくされた私たちは、聖霊によって神様の愛をいただいています。私たちの生き方は、神を愛し、指導者を愛し、兄姉を愛し、世の人を愛する生き方なのです。