主に信頼する(詩篇23篇)

 一休和尚が臨終の間際に、弟子達を集めてこう言いました。
「この箱の中には、私の遺言が入っている。あなたたちがどうしようもない問題にぶつかった時、これを開けて読みなさい。あなたたちの助けになるだろう。」
 そして、一休は亡くなりました。弟子達は問題が起こるたび、その箱を開けようと迷いますが、「いやいや、もっと無理難題が襲ってくるかもしれない。その時こそ、この箱を開けてみよう。」
彼等はそう言って箱を開けずに、互いに励まし合い、問題をどうにかくぐり抜けて来ました。しかし、自分たちの力ではどうにもならない問題に直面した時、彼等は「もう、あの箱に頼るしかない。きっと一休和尚がこの問題の解決になるものを書いてくれているに違いない。」そう言って箱を開けました。すると、その中にはまた一回り小さな箱が入っていました。それを繰り返していく内に箱はどんどん小さくなり、最期に一枚の小さな紙切れが出てきました。その紙切れをよく見てみると一言、「なんとかなる。」と書かれてあったのです。
 私たちの人生は、良いことも起これば、悪いことも起こる、その繰り返しと言えるでしょう。時に、無理難題に直面することもあります。しかし、私たちのクリスチャン生活には、全能なる神様が共におられ、人間的な「なんとかなる」を越えて「素晴らしいことをして下さる」という希望を持つことが出来るので感謝です。
 詩篇23篇は、「私たちの生き方」「私たちの考え方」が書かれてある重要な聖句です。ここには「主は私の羊飼い」と書かれてあります。
主と私たちの関係は「羊飼い」と「羊」の関係です。パレスチナ地方では、どこにでも牧草や水があるかと言うと、そうではありません。羊はどこに緑の牧場があるか知りません。しかし、羊飼いは知っています。羊は羊飼いを信頼し、ついていきます。羊飼いに従って行くならば、豊かな牧草が与えられ、泉の沸くところで新鮮な水を得ることが出来るのです。羊が羊飼いのもとから離れてしまうと道に迷い、野獣に襲われてしまいます。ですから、羊は羊飼いを離れては生きていくことが出来ない存在です。
 私たちも、この羊と同様に、神様と離れては生きて行くことの出来ない存在です。何故なら、神様は私たち人間を造られたお方だからです。神様は、私たちの思いや考え、そして何が必要なのかを知っておられます。あなたの求めている「牧草(あなたの必要、祝福)」「水(渇くことのない水)」を与えて下さるのは主ただお一人です。
 また「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油を注いで下さいます。」(5節)と書かれてあります。これは、「神様に信頼する」という事です。絶対絶命の時、敵が目前に迫っている時、神様はあなたに食事(力、すなわち神様の御言葉)を与え、「恐れることはない。」と語られ、人生に勝利を与えて下さるのです。
「油を注ぐ」は「神様が選んだ器」ということを証明する儀式です。信仰生活は順風満帆ではありません。しかし、どんな時も神様に信頼するなら、神様はあなたを通して神様の栄光を現されるでしょう。あなたは、どん底で「選び」を体験するのです。あなたの人生はいつくしみと恵みとが追いかけてくる人生です。主に信頼しましょう。