信仰によって(創世記2章)

 神様は、人間が一人として滅びることのないようにと願っておられます。そして全ての人がイエス・キリストによって救われ、永遠に神の国で生きるように導いておられます。何故なら、神様がこの天と地を造られ、私たち人間をもお造りになられたからです。
「初めに神が天と地を創造した。」(創世記1:1)
この時から、「時間」が刻まれるようになりました。ですから、私たちがこの地上で生きるために与えられている時間には「限り」があるのです。限りある人生の中で、聖書(神のことば)を知り、聖書に従うことはとても重要なことです。
 聖書には「いつも喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」また「主を喜ぶことは私の力です。」と書いてあります。聖書は、私たちに生きる知恵を与え、信仰を与えます。それによって、どんな時も信仰によって喜ぶことが出来るのです。神様は、私たちの信仰に応え、御手で守り、祝福の道を歩ませて下さいます。「聖日を守る」ことも聖書の大事な教えです。週の初めに、聖日を守り、神様との交わりを持つことは、心をリフレッシュすると同時に、この世で生きるための力を与えます。神様の教え、神様のご命令は、私たちが生きるために必要なことなのです。それらを守る時に、私たちは祝福の道を歩むことが出来ます。
 しかし、神様は私たちに「自由意志」を与えて下さいました。神様は、「善悪を知る知識の木の実を食べてはならない。」(2:17)と命じましたが、どのように選択するかは、アダムにお任せになりました。神様は、善悪を知る知識の木の実を食べることによって、あらかじめ人間の心に良心を与えておられたのです。アダムは、自分で悪い選択をしてしまいましたが、この良心があるからこそ、人間は悪いことを行った時、罪悪感を抱いたり、自分を罪人だと責めるのです。「罪人」だと自覚させること、これが神様が人間に良心を与えた目的です。
 聖書を見るときに、人間には「義人」がいないということが分かります(ガラテヤ5:19~21)
 人が良心の呵責を覚えた時、その時こそイエス様の十字架の贖いが必要になってくるのです。罪の性質を完全に取り除くのは、イエス・キリストの他にはいないのです。イエス・キリストの十字架の血潮が、新しい命を与えて下さいます。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第2コリント5:17)
 信仰によって、私たちは「義人」とみなされます。私たちは罪人です。しかし、信仰によって神様は私たちを「義」と見て下さっているのです。自分には「愛せない。」と思えることでも、聖霊の助けにより「出来る」と信じて一歩踏み出すなら、その信仰の通りになるのです。(ガラテヤ5:6)あなたの将来が暗く思えても、神様が「光よあれ!」と言えばその通りになります。信じて前進しましょう。