感謝の心(創世記3章)

 私たち人間が存在するということは、私たちを造られた神様がいらっしゃるという証です。造った人がなくて、「すべてが偶然に出来た」ということは決してないのです。
 神様は、目的をもって私たちを造られました。(創世記1:26)
いのちの息(霊)を鼻から吹き入れ、人間を神様と交わりの出来る特別な存在としてこの地に置かれたのです。
「人とは何者なのでしょう。~あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。」(詩篇8:4~9)
 創世記の1章(天地創造)を見ると、「神はそれを見て良しとされた」ということばが度々出てくるのに気づきます。ヘブル語では「トーブ」と書かれてありますが、この一語に「愛する」「美しい」「麗しい」「かわいらしい」「貴重」「綺麗」「幸福」「心地よい」「財産」「幸い」「親しい」「殉教」「正直な」「好き」「宝」「楽しむ」「豊か」・・・etcという多くの意味を含むというので驚きです。私たち人間を造られた時、神様はこのような気持ちを持って、私たちを見て下さっていたのです。それは今も変わりません。
 エデンの園においてもそうでした。人間にとって、すべての必要はそこに備わっていたのです。素晴らしい環境、すべてを管理する力、また能力。しかし、アダムとエバは罪を犯しました。何故でしょう。
それは、何も不自由がないはずなのに、「もって欲しい」と思ったからなのです。彼等に足りなかったものは「感謝の心」でした。感謝の心がないために、彼等は神様を疑い始め、結果として神様の命令に背き、神様が備えられた祝福を失ってしまいました。しかし、神様はイエス様の贖いによって、これらのものを再び回復して下さったのです。今、神様は私たちに賜物を与えて、その賜物をもって神様に仕えることを教えて下さっています。
「さて、賜物にはいろいろな種類がありますが、御霊は同じ御霊です。~しかし、みな益となるために、おのおのに御霊の賜物が与えられているのです。ある人には知恵のことば、ある人には信仰、ある人には癒し、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には威厳を解き明かす力~しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。」(第一コリント12:1~11)
 「信仰」も神様から与えられる「賜物」です。イエス・キリストの十字架と復活を信じることが出来る、これは神様からの「賜物」です。 神様は、いつもすべての必要を私たちに備えて下さっています。
私たちは、決して感謝の心を忘れずに神様に仕える必要があるのです。何故なら、神であられる方が、私たちのためにご自分を無にして仕える姿となってこの地上に来て下さったからです。
 私たちは、すべてを備えて下さっている神様にいつも感謝し、喜びながら、教会に、また救われていない人々に仕えていきましょう。