信仰を持って

「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神に約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」(ローマ4:18~21)

 アブラハムは、神様のことを全能なる神であると堅く信じました。「信じる」と「理解する」とでは意味が全然違ってきます。私たちはまず「納得」して信じようと思いがちです。しかし、それは信じることではありません。信じるとは「そのまま受け入れる」という事です。「イエス様の十字架、復活、永遠のいのち、神の国」これらをそのまま全て受け入れる時、「信じた」と言えるのです。
 私たちは、十字架の血潮によって過去に死に、信仰によって神様に生かされている者なのです。ですから、人の言葉ではなく、聖書は何と言っているか、ということに常に心を向けていきたいのです。
 私たちには、聖霊様が共にいて下さいますから、どのような弱さの中にあっても、「主にあって出来る!」(ピリピ4:13)と告白することが出来るのです。神様は、あえてこの世で見下されている者、愚かな者、取るに足りない者を選んで下さいました。それは、神の御前で誰も誇ることのないためでした。弱いからこそ、神様の栄光がその弱さのうちに完全に現されるのです。(Ⅰコリント1:~31)私たちは常に主を誇る者です。
 アブラハムが何故「信仰の父」と呼ばれたのか。
それは、彼が「無から有を呼び出す神の力」を絶対的に信じたからです。彼とサラの間に、息子イサクを与えるという神様のことばは、アブラハムが100歳の時に成就しました。「イサクを通して多く子孫を残す」という約束を彼は堅く信じていたので、神様が「約束の子イサクをいけにえとして捧げなさい。」と言われた時も、そのことばに従いました(創世記22章)。「死んでも、必ずよみがえらせて下さって約束を果たして下さる。」と信じていたからです。
「信仰によって、アブラハムは、試みられた時イサクをささげました。彼は約束が与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。神はアブラハムに対して『イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる』と言われたのですが、彼は神には人を死者の中からよみがえらせることも出来る、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。」(ヘブル11:17~19)
 「神様のことばは絶対である。」これが、彼の信仰でした。
イエス様の語られることばは、絶対であり、いのちそのものです。ですから、私たちは「聖書のことばは必ずそのようになる!」という信仰を持ちましょう。
 この地上で与えられている時間はとても短いものです。私たちは死後にある永遠の世界を意識して生きなければなりません。
あなたの信仰の姿勢は、死後の永遠の世界に反映されていくのです。
天においての生活が、私たちに与えられた本当の生活なのです。賛美をもって主をほめたたえ、すべての煩いから解放され、喜びに満たされた生活が用意されているのです。ですから、天に宝を積みましょう。そして、信仰を持って主に仕え、喜んで信仰生活を歩みましょう。