悲しむ者は幸いです

 マタイの福音書5章~13章は「山上の垂訓」と言われる有名なところです。ここで、クリスチャンの道徳を教えています。
 5章の1節~12節の言葉は、多くの人に愛唱されているところで、ある人は名言として、ある人は格言として心に刻まれている事でしょう。
 ここには、「幸いです」という言葉が全部で9回出てきます。
イエス様は「悲しむ者、心の貧しい者は幸いです」と言われました。この箇所は、何か逆説的な表現で、この世の常識で測るなら理解に苦しむ所です。
 しかし、何もかも失って失意の中で見い出すものがあり、また、この悲しみのどん底で見い出すものがあるということを、イエス様はここで教えているということを知りましょう。これが福音です。
 この世は混沌として、誰に頼れば良いのか、どこに行けば幸せがあるのか、何をすれば幸せになれるのかということを探し求めていますが、だれもその答えをこの世で見い出す事が出来ずにいます。
マルコの福音書5章12節~34節には、「12年間、長血を患っていた女」の事が書かれていますが、この箇所は、今の時代をよく言い表しているところです。
 「彼女は、多くの医者にかかって散々苦しめられ、その持ち物をみな費やしてしまったが、何の甲斐もないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。」とあります。
 人をどん底に陥れたり、不幸せにする、その原因は「罪」にあります。人々は、幸せになりたいと思い、解決を求めるのですが、何の甲斐もなくかえって滅びの道へと進んで行ってしまうのです。
「良い事は分かっていても、良い事をしないで悪い事をやってしまう。」 (ロマ7:19,20)
この罪の問題は、人の考え出した宗教、哲学、倫理、医学では決して解決出来るものではありません。
 医者を信頼していた、何とか治療して癒してもらえると思っていた、それなのにますます状況は悪くなり、おまけに財産まで、みな使い果たしてしまった長血の女性。しかし、彼女は失意のどん底で「イエス様のことを聞いて」(福音)希望が与えられ、イエス様に触れたときに癒しが与えられました。
 「全てを失う」「悲しみのどん底」これは、全能の神の救いの手が延べられるところです。
「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。(使徒16:31)
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」
 私たちが悲しむ時、私たちを愛し、いつも共にいて下さる主が助けて下さいます。私たちはいつも、主を見上げて歩んでまいりましょう。