幼子のように(ルカ18:15~17) 富高美和伝道師

 イエス様に触ってもらおうとして、人々が幼子をイエス様のみもとに連れて来ました。しかし、それを見た弟子達は、幼子がイエス様に近づくのを許しませんでした。それを見ていたイエス様は、弟子達をしかり、幼子をご自分のもとに呼び寄せられました。
 さて、このところからイエス様はどのようなお方かがわかります。
①イエス様は、分け隔てなく、近づく者をすべて受け入れて下さる方。
イエス様は弟子達に対し、憤りを感じられました。何故なら、イエス様に近づく者の足を止めたからです。男性社会であった当時、女性や子どもの存在はあまり尊重されていなかったようです。しかしイエス様は、どのような者でも分け隔てなく愛し、受け入れて下さる方です。
②イエス様は、私たちの願いや期待を越えて良いことをして下さる方。
幼子を連れて来た人々は、イエス様に触っていただくだけで十分だと考えていました。しかし、イエス様は触るだけではなく、彼等を抱き、その御手を置かれ、祝福して下さったのです。(マルコ10:16)
 マルコ1:40~42にツァラアトにおかされた人が出てきます。
彼は「お心一つで私はきよくしていただけます。」と言いました。彼はイエス様に「きよい」と宣言してもらえるだけで十分でした。しかし、イエス様は彼をあわれみ、彼の身体に「触って」病気を癒されました。何故なら、汚れた者として蔑まれていた彼の心は、ボロボロに傷ついていたからです。イエス様は、まず心の癒しを行うため、あえて誰も触ろうとしない彼の身体に触られたのです。
神様は、私たちが望むものを遙かに越えて良いことをして下さいます。
③私たちを救って下さるお方。
 イエス様は、十字架の贖いを通して全ての人が救われ、御国の祝福に預かることを望んでおられます。 
 私たちのことを愛し、いつも良いもので満たそうとされているイエス様が、ここで「信仰」について大切なことを教えて下さいました。何故なら、まだ御国の福音を受けれ入れていない人がいたからです。
 イエス様は「幼子のように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることは出来ない。」と言われました。神の国とは、神様の支配されるところを指します。目に見えるものではありません。ですから、「神の国を受け入れる」とは、今は私たちの目に見えないもの「天の御国、十字架と復活、神様の存在、御言葉が神のことばであるということ」を「信じる」ということです。しかし、なかなか信じがたい事実です。そこで、信じる方法として「幼子のようになる」ということをイエス様は言われます。幼子は、固定概念がなく、言われたことをそのまま受け入れることが出来ます。大人になるにつれ、常識、分別、知識が「そんなことは常識的にありえない!」という考えをもち、信じにくくなります。イエス様は、神の国に関してはそのようなものは邪魔であると言います。何故なら、天地を造られた神様のなさることは、この世の常識を遙かに越えるものだからです。
 私たちは、幼子のように神様が言われることをそのまま受け取り、神様のもとに行きます。神様はそのような純粋な心を喜ばれ、私たちを喜んで抱き、御国の祝福を与えて下さるのです。信じましょう。