赦しなさい

「~そのとき、ペテロがみもとに来て言った。『主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』イエスは言われた。『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。』~」(マタイ18:18~35)
 「王としもべ」のたとえを話される前に、イエス様は、「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐ(別訳:禁ずる)なら、それは天においてもつながれており、あなた方が地上で解く(別訳:赦す)ならそれは天でおいても解かれているのです。」と言われました。これは、私たちクリスチャンに対して言われていることです。つまり、祈って神様の御言葉に立つなら、その通りになる、ということを言われているのです。イエス様は、「二人の人がどんなことでも地上で心を合わせて祈るなら、天におられる私たちの父はそれをかなえて下さいます。」と言われました。
 するとペテロが質問しました。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
イエス様は「七度まで、などとはわたしは言いません。七度(人間の限界を現す数字)を七十倍するまでと言います。」と言われました。つまり、いつでもどんな時でも赦してあげなさい、ということです。 そして例えを話されました。一万タラントの借りのあるしもべが王の所に連れて来られました。借金を清算するためです。しかし、しもべは返済することが出来なかったので、王は自分の妻も持ち物を売り払って返済するよう命じました。するとしもべは王の前にひれ伏して「どうかご猶予を与えて下さい。そうすれば全部お支払いします!」と言いました。すると主人はそのしもべを可哀想に思い彼を赦し、借金を免除してあげました。ところが、その赦されたしもべは、同じしもべ仲間で彼から百デナリの借りのある者を赦さず、借金を返すまで牢に投げ入れたのです。その一部始終が主人の耳に届くと、主人は彼を呼びつけて「悪いやつだ!おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がおまえをあわれんだように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。」と言い、借金を全部返すまで彼を獄吏に引き渡しました。
 例えを話された後、イエス様は「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたにこのようにされるのです。」と言われました。
 ここに出てくる「借金」とは「罪」のことです。イエス様は私たちをあわれんで、その罪を赦して下さいました。イエス様の十字架の贖によって私たちの負債はゼロになったのです。ですから、私たちは大きな借金を赦された者なのだから、私たちに対して不当なことをした人に対しても赦すべきだと言われています。
「赦さない」心は、その人に怒り、不幸をもたらします。イエス様は私たちが「幸せ」であることを願っておられるのです。「赦す」ところに神様の祝福が注がれます。「赦す」ことは人間にとっては困難なことです。ですから私たちには「聖霊の力」が必要です。自分に出来なくても、聖霊の力によって赦せます!聖霊に満たされましょう!