主を誇る人生

「私は、私を強くして下さる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)

 私たちが色々な問題の中で気落ちしている時、私たちを強くして下さる方がおられます。それは、天地を造られた全能なる神様です。
 パウロは熱心なユダヤ教徒で、先頭を切ってクリスチャンを迫害する者でした。しかし、イエス様が直接彼に現れて下さったことにより(使徒の働き9章)、パウロは回心することになります。「イエス様こそが、私たちの待ち望んでいた真の救い主だ!」と確信してからのパウロの生活は一変しました。彼はユダヤ教の中でもエリート中のエリートであり、ローマの市民権をも持つような人物でした。しかし、彼はそれらの物すべてがちりあくたのように感じ、神様の前に、何の意味もないものであることを知りました。
 そして、目に見える学歴や身分、特権を誇りとするのではなく、「私にはどんな時も私を強くして下さる方がおられる!」ということを誇りとするように変えられたのです。
 神様は、強い人を求めてはいません。あえて、弱い人を選び、その人を通して神様の力ある業を表そうとされるのです。
 多くの人は、自分の考えや自分の計画で生活をしています。人生設計を立て、将来に期待を持ちます。しかし、家を建てるまでは楽しいけれども、立ててしまえばむなしくなるように、自分なりの目標を達成すると空虚感が襲ってくるのです。それが神様を知らない人の生き方です。
 かつて栄華を極めた、イスラエルの王ソロモンは、伝道者の書で
「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」と結論づけています。ソロモンは、「神を恐れて、その命令を守ること、これこそが最高の生き方である!」と言っているのです。
 神様のご支配の中で生きるなら、最高の人生、最高の祝福を受けることが出来る、と聖書は言っています。
 私たち人間は、この世にある楽しみ(恋愛、結婚、出世、など)に満足する者ではありません。それは一時的なものなので、またむなしさがやってくるのです。幸せを求め続けますが、いつまでたっても満足することが出来ないで、人生をあきらめてしまう人が多いのです。
 聖書には、人が何のために造られたのか、その目的が書かれてあります。人は、神様と共に歩み、神様を礼拝し、神様の栄光を現す時に本当の満足を得ることが出来ます。なぜなら、そのように神様がお造りになったからです。
 神様は、私たちに「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝するように」と言われています。どのような状況であっても、この御言葉を実践していくならば、私たちの人生は神様によって祝福された生活へと変えられます。私たちは弱いけれども、私たちを導いて下さる方は何でも出来る方です。この方を誇っていきましょう。