ヨルダン川

「義人はいない。ひとりもいない。~すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることは出来ず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:10、23、24)
 世の中には、まじめな人、善人と呼ばれる人はいるでしょう。しかし、そのような人でも「私は生まれてから罪を一度も犯したことはありません。」と宣言出来る人は一人もいないのです。何故なら聖書は言います。「すべての人は罪を犯している」と。
 私たちは、「自分は罪人なんだ」と気づく必要があります。
 第二列王記5章には、アラムの王の将軍ナアマンの話が出てきます。
彼は、王に用いられる優秀な軍人でした。彼が行くところは連戦連勝。負け知らずの将軍で皆に尊敬されていました。しかし、彼は大きな悩みを抱えていました。「この人は勇士であったが、ツァラアト(全身をむしばむ、伝染病として恐れられていた病気)に犯されていた」と聖書には書かれています。イスラエルでは、この皮膚病にかかった人は社会から追放され、そして隔離された生活を強いられました。
 このツァラアトは「罪」を表しています。そしてこの皮膚病に犯されているナアマン将軍は、罪に全身をむしばまれている、私たちの姿を表しています。
 ナアマン将軍は、戦いに出ている時は充実感を覚え満足していました。しかし、いったん家に帰り、軍服を脱いだとき彼の心は失望に変わるのです。皮膚病が日に日に悪化し、全身に広がっていたからです。何とか、この状況から救われたい、そのような願いでいっぱいでした。 そのような時、妻に仕えている女奴隷が言いました。「もし、ご主人様がサマリヤにいる預言者のところに行かれましたら、きっと、あの方がご主人様のツァラアトを直して下さるでしょうに。」と。
 飢え渇いていたナアマンは、早速行動を起こしました。イスラエルの王を通じ、預言者エリシャの元にたどり着いたのです。彼が戸口に立つと、当然預言者が自分の所に駆け寄ってきて、病気を直してくれると思いました。しかし、エリシャは僕をやって「ヨルダン川であなたの身を7度洗いなさい。」と言っただけだったのです。ナアマンは、それを粗末な扱いと感じ、また期待がはずれたという失望感の故に大変怒りを覚え、帰ろうとしました。すると、彼の僕達が「もしもあの預言者が難しいことを言ったのなら、あなたはそれをしたでしょう。ヨルダン川で身を洗うことは簡単なことではありませんか。」と言ってナアマン将軍を諭し、それを行うように促したので、彼はエリシャのことば通りにヨルダン川に行き7度身を洗いました。すると、彼の肌は元通りになって、幼子の身体のようにきよくなったのです。ナアマンは、その時にイスラエルの神が生きて働かれる方であることを知りました。救われる方法は、ヨルダン川で身を洗う、簡単なことだったのです。
 神様の罪の赦しもその通り、簡単なことなのです。罪を悔い改め、イエス様を救い主と受け入れれば罪は赦されます。現在のヨルダン川は「教会」です。ここに入るなら、魂が続々と救われていくのです。