光なることば

「~しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。~」(ヨハネの福音書1:9~13)
 創世記1:1には「初めに神が天と地を創造された。」と書かれてあります。ヨハネの福音書には「初めにことばがあった。こどばは神とともにあった。ことばは神であった。~すべてのものは、この方によって造られた。~この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。~ことばは人となって私たちの間に住まわれた。」(1:1~14)と書かれてあります。
 ことばは、光となって私たちの心を照らします。そのことばとは、神様であり、人となってこの地上に来てくださったイエス・キリストです。
 このことばであるイエス・キリストは、私たちの心に光りを当て、私自身がどのような者であるかをはっきりと示して下さいます。
 パウロという人物がいました。彼は、熱心なユダヤ教徒でクリスチャン迫害の先頭に立つ人でした。律法を行うことに関しては落ち度がなく、またローマの市民権を持ち、エリート中のエリートでした。彼は、クリスチャンを聖書に反することをしている者として、徹底的に懲らしめていたのです。それらは全て、自分の信仰が正しいという正義感から行ったものでした。
 しかし、彼がクリスチャンを迫害するためダマスコに向かう途中、復活のイエス様が、直接彼に現れてくださったのです。
「サウロよ、サウロ。何故わたしを迫害するのか。」(使徒9章)
その時、彼はイエス様こそが真の救い主、神であることを知りました。彼はそれまで「自分の信じているユダヤ教が真の信仰だ!私が正しい!私は間違っていない!」と自負していました。しかし、イエス様のことばによって心が照らされた時、自分の罪、醜さ、傲慢が示され、彼は心から「私は罪人の頭です。」と告白するようになりました。
 イエス様の光が、パウロに自分自身がどのような者かをはっきり示されたのです。そして、パウロは、罪から救うためにこの世に来て下さった、神の子イエス様を信じることが出来ました。
 このパウロによって伝えられた福音によって、今日の私たちが存在するのです。
 私たちも、イエス様の光に照らされています。この光に照らされる時に、本当の自分を知ることが出来ます。表面は繕っていても、私たちの心は汚い思いでいっぱいなのです。
聖書は、「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23)と語っています。しかし、その罪から救い、私たちを希望の光で照らされ、導かれる方がおられるのです。
 この光には「いのち」があります。「人は、パンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つのことばによる。」(マタイ4:4) 天地を造られた、神であるイエス様のことばは、私たちが神の子どもとして歩む道を照らして下さいます。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」神様のことばに照らされて歩みましょう。