新しい歩み

「~私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ6:1~4)
 神様を信じたクリスチャンには、「イエス様によって新しい歩みが与えられている」と聖書は語っています。新しい生き方、新しいライフスタイルです。
 聖書には、今の社会の中で起きているような、あらゆる事柄が包み隠さず書かれてあり、そこには人間の罪深さや、人間の問題がはっきりと記されています。それは、私たちが書かれている出来事に共感し、また今抱えている問題の解決を見い出すことが出来るようになるためです。「この聖書には、私と同じことをしてる人が書かれている、私にも、神様が働いて、このような解決を与えて下さるのか。」と希望を持つことが出来るのです。
 パウロは「罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。」と言いました。それは、「罪の増し加わるところに恵みも満ちあふれた。」と語ったパウロに対し、「では、恵みが増し加わるために罪をもっと犯すべきなのか?」と揚げ足をとるような人々がいたからです。しかし、そのような人の心の内には「信じていれば、べつに今までの生活を変えなくてもいいのではないか。」という思いがありました。しかし、神様はそのままで良いと言われる方ではありません。私たちが成長し、変わることを願っておらるのです。そのために、私たちを取り扱い、問題の解決を与え、神様に近付く者となるようにと導いておられるのです。
 私たちは、イエス様を信じ、洗礼を受けたその時から「新しい者」とされており、もはや罪にとどまるべきではないのです。すべてのクリスチャンが、罪から離れ、新しい歩みをすることが神様の願いです。
 パウロは、「罪にとどまる」ことをガラテヤの手紙5章では「肉の働く機会としない」と言っています。これは、イエス様の救いは、私たちが肉の思いで好き勝手をするために与えられたわけではないということ、イエス様を信じた者は、2000年前にイエス様が十字架にかかられた時に共に死んでいるのだということを言っています。私たちは既に肉に死んだ者なのです。そしてキリストと共に新しいいのちが与えられ、復活した者です。クリスチャンの歩みは全て、イエス様の体験と重なっていく生き方に変わります。ですから「罪にとどまる」という考えを持つことは出来ないのです。
 神様は、私たちをすばらしい人生へと導いて下さる方。私たちは、イエス様と共に歩む人生の中で、天国の前味を味わうことが出来るのです。イエス様は「来なさい。」と言われます。そしてもっとついて行こうと思う者には、「日々、十字架を背負って」と要求されます。私たちの新しい歩みは「日々、イエス様について行く」ことによって可能になるのです。そして、イエス様について行くことによって「罪からの解放、本当の自由」を味わうことが出来るのです。イエス様の愛によって、私たちを捕らえて下さっています。ですから、私たちは安心して委ねて行けば良いのです。それが、私たちの新しい歩みです。

永井信義師(東北中央教会主任牧師・拡大宣教学院院長)