恵みによる救い

「使徒となったパウロー私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、ただイエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。」(ガラテヤ1:1~12)
 パウロは、ユダヤ教に熱心なあまり、クリスチャンを激しく迫害する者でした。しかし、ダマスコの途上で、復活のイエス様とお会いすることによって彼の人生は変わります(使徒9章)。
 パウロは、イエス様からの「パウロよ。なぜわたしを迫害するのか?」という問いかけに、クリスチャンを迫害していることが神様の意に反しているということに気づき、イエス様こそが救い主であることを知るのです。それから、パウロはユダヤ人に対し、また、世界の人々にイエス・キリストこそが救い主であるという「福音」を伝える者へと変えられていきます。
 福音とは、「キリストは、聖書の示す通りに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、またケパに現れ、それから12弟子に現れたことです。」(第一コリント15:3~5)です。
 この福音は、すべての人に対しての「良い知らせ」です。
私たちは、自分を変えようとしても、なかなか思うようにはいきません。世の中には、自己啓発の本や、カウンセリング、様々なものが提供されていますが、なかなか結果をみることが出来ません。
 しかし、パウロは声を上げて語りました。「この方を信じるなら、新しく生まれ変わり、私たちの人生は変わる!!」と。
 彼は、自分自身が、主によって変えられたというすばらしい体験をしていたので、確信に満ちて語り続けました。それら全ては、神様の選びの中で行われたことだと言っています。「私が使徒となったのは、人間から出たことではなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。」(ガラテヤ1:1)
 私たちは、神様の選びと啓示によって救われました。神様によって「選ばれた」ということを本当に理解するならば、私たちの生活は変わるのです。その生活は神様の中心の生活になります。
 神様による「救い」は、信仰によって受け入れるならば、誰でもその救いに預かることが出来ます。
 このところでパウロは、「救われるためには、行いも必要である。(間違った福音)」と言い始めた、ガラテヤの人々に対し、「行いではなく、信仰によって救われる」とはっきり告げています。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることがないためです。」(エペソ2:8,9) 
 「恵み」とは努力や修養によってではなく、ただ一方的に与えられるものです。神様は、十字架による救いを恵みによって私たちに与えて下さっているのです。ですから、信じるだけでそれを受け取ることが出来ます。信じるならば、私たちにはすばらしい人生が約束されています。私たちは恵みによって救われました。感謝しましょう。