霊の目が開かれるために(ヨハネ9:1~7) 高森恒喜師(日南チャペル)

「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい」(ヨハネ9:7)
 霊の目が開かれていると、私達は人生で本当に大切なものを見分けることができるようになります。霊の目がしっかりと開かれてさえいれば、目に見える事柄に振り回されることはありません。この世の規準で物事を計ることもしなくなりますので、高慢になったり、卑屈になることもありません。無用な恐れに捉われることもないのです。そこには真の自由があります。
 では、どうすれば私達の霊の目が開かれるのでしょう?
その答えが「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい」(ヨハネ9:7)というイエス様の言葉にあります。
あえて、盲人の目に泥を塗り、シロアムの池で洗わせたのは何故か?
それは、「シロアム」すなわち「遣わされた者」としての意識が霊の目を覆う泥を洗い流すことを人々に教えるためだったのではないでしょうか。
 あなたは自分が遣わされていることを意識しておられるでしょうか?あなたは、職場に学校に地域に、そして家庭に遣わされているのです。 では、誰があなたを遣わしたのですか?それは創造主なる神です。
何のために遣わされたのですか?それは「神の使命」を果たすためです。 このようにして、霊の目が開かれた人は、もはや自分の欲望に引きずり回される人生ではなく、神の使命に導かれる人生へと変えられるのです。
 「遣わされた者」として「神のしもべ」としての意識を持つこと、そして、それを保ち続けることは決して簡単なことではありません。
残念ながら、私達はすぐにそのことを忘れてしまうのです。
そのようなことのないためにも、私達はまずなによりもみことばと祈りによって一日をはじめる習慣をしっかりと身に着けましょう。
主人のメッセージをしっかりと受け取って出て行かなければしもべは決して実を結ぶことはできないのです。