愛なる神の選び

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益として下さることを、私たちは知っています。~」(ローマ8:28~39)
 神様は、私たちを選び、召し(神様のそば近くに置いて下さる)、義と認め(神様の目に正しいと見て下さる)、さらに栄光(神の子である特権)を与えて下さいました(ローマ8:30)。なんと素晴らしいことでしょう。
 人はそれぞれ、何らかの「きっかけ」があって教会に足を運びます。それは「人生の相談」「友人や家族の誘い」「興味があって」「葬儀」など。しかし、それらの背後にはすべて神様が働いておられ、神様がその人を選んで導いておられるのです。神様は、私たちを変わらぬ愛で愛し、最善の道を与えて下さる方です。その愛は、御子をも惜しまず与えられる愛です。
 「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んで下さらないことがありましょう。」(8:32)
 神様が私たちの味方である以上、だれも私たちに敵対出来るものはありません。ですから、神に選ばれた人々を訴えるような者、また罪に定めようとする者が現れたとしても、私たちは恐れることはないのです。何故なら、私たちは確かに、神様によって選ばれ、イエス様の贖いによって、義とされたのですから。私たちのために死んでよみがえって下さったキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのために必死にとりなし、祈っていて下さるのです。
 私たちは時に、思いもよらぬことで状況が良い方向に向かったり、関係が改善されたり、病の癒しが与えられたり、不思議な体験をすることがあります。それは、あなたの背後でイエス様が、また周りにいるクリスチャンが、とりなし祈っているからなのです。
 神様が与えられる「選び」は特別なものです。そして、その選びは「永遠(天国)」なのです。
 アブラハムは、イスラエルの国民の父として選ばれました。その宣言は彼が75歳の時に与えられましたが、アブラハムはそのことばを信じました。そして、彼が100歳、サラが90歳の時に、息子であるイサクが与えられたのです。これは、常識的にはあり得ないことでした。しかし、神様の「選び」と「約束」は必ずで、その実現は、この世の人間的な常識を打ち破るものです。
 私たちは、神様の絶対的な愛の中で選ばれました。それは、神様の素晴らしい栄光のために、用いられるためです。ですから、様々な問題の中にあっても恐れることはありません。「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足らないものと考えます。」(ローマ8:18)
 だれも、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことは出来ません。神様の絶対的愛の中で選ばれ、召されていることを感謝しましょう。私たちを通して神様の御業が現れます。