召天者記念礼拝

 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

 「四苦八苦」と言う四字熟語があります。
これは、仏教用語で、「生」「老」「病」「死」の四苦と、「愛別離苦」(愛するものとの別れの苦)、「怨憎会苦」(怨み憎む者と会う苦)、「求不得苦」(求めるが得られない苦)、「五陰盛苦」(自己に執着する苦)、の四苦を合わせての八苦。これを四苦八苦と言います。
 これは、私たちが日常的に使っている言葉ではないでしょうか。
釈尊はこの世のいっさいが「苦」であるこれを第一の真理とし、「苦」の原因を知り、「苦」の原因が分かったなら、執着心を捨てなさい、と説いています。しかし、そう簡単にいかないのが現実です。捨てるためには、修行が必要となってくるのです。
 聖書は、私たちの「苦」の原因は、罪(原罪)にあると言っています。
 神様は、初めに造られた人間(アダムとエバ)に対し、「エデンの園のどの木からでも取って食べて良い、しかし、園の中央にある、善悪を知る木の実を取って食べていけない。取って食べると必ず死ぬ」と言われました。しかし、彼らは、サタンにだまされて善悪を知る木の実を取って食べたのです。この「初めに神様に背いてしまった罪」を「原罪」と言います。
 その時から人間は、神様との交わりの器官である霊が死に、神様との交わりが断たれ、四苦八苦の人生へと変えられたのです。
 しかし、今から約2000年前に、イエス・キリスト様が、私たちが受けなければならない、罪の罰を身代わりとなって十字架上で受けて下さったのです。このことを信じる全ての者は、罪が赦され、死んでいた霊が生かされ、神様との交わりを回復して、永遠の命が与えられます。そればかりではなく、神の子どもとしての特権を得ることが出来るのです。それ故、私たちクリスチャンは、「全能の神様」を天のお父様として祈ることが出来る恵みにあずかっているのです。
 「だれでもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント 5:17 )
 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)
 「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
 神様は、聖書を通して、あなたに語っておられます。神の子どもとして迎えて下さる、イエス様のもとに行きましょう。