基準(福音の群牧会長 永井明師)

「神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの基準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。」(ローマ6:17、18)
 私たちは、かつては罪の奴隷として生きていました。罪の性質が全生活を脅かし、狂わせていたのです。しかし、イエス様の前に出た時、その「罪」から解放され義の奴隷とされました。
 世界共通として「メートル法」があり、それを基準として世界の作品が造られるように、私たちも聖書を通し、クリスチャン(義の奴隷となった者)として正しい基準とは何であるかを知る必要があります。
 週報には、使徒信条、十戒、主の祈りが掲載されています。私たちは、これらに対し納得しつつ、生活に適用していかなければなりません。
 特に、絶対者である神様が人間に与えられた、十戒(出エジプト20:1~17)に注目していきたいと思います。
 まず、神様は、「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」「偶像を造ってそれらを拝んではならない。」「あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはならない。」「安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ。」と戒めています。
 一戒から四戒めまでは、神様と私たちという縦の関係が記されています。そして五戒めから十戒までは人と人という横の関係について記されています。
 イスラエルの民が、エジプトの地で奴隷であった時から、約束の地カナンに行き着くまで、約430年かかりました。長い年月の中で彼らの国(文化や宗教)に同化してしまってもおかしくはない状況にいたのです。ですから、神様は十戒においてイスラエルの民に対し、厳しく教えました。
 また、神様は続けて人と人との関係の中において戒められます。
「殺すな。」「姦淫するな。」「盗むな。」「嘘をつくな。」「欲しがるな。」
 神様は、私たちから遠く離れておられる方ではありません。天地を造られ、全てを支配しておられる神様は、私たちの内に、生き、動き、存在しているのです。
 今を生きる私たちは、この基準(十戒)に従って、私たちは教会生活を送るのです。
 そうするなば、一人一人が愛し合い、尊敬し合い、仕え合うことが出来るのです。伝えられた基準に心から服従して参りましょう。