神の国のことば(マタイの福音書6章)

 神の宮として、かつてイスラエルの王であったソロモンは、神殿を建て上げました。そこは、神様に祈り、礼拝する場所として用いられました。今、私たちにとっての神殿は、教会です。教会において、私たちは神様を礼拝し、神様のご臨在に触れ、神様が祈りに答えてくださるという体験をします。祈りと礼拝、それは神の国の生活です。
私たちは、神の国の生活を取り入れて生きていきます。
 ルカの5章には、シモン・ペテロたちがイエス様のおことば通りに深みに漕ぎ出し網を下ろした時に、大量の魚が獲れ網が破れそうになったという奇跡の記事があります。彼らが夜通し働いても、なかなか獲れなかったのに、イエス様のおことば一つで状況が一変しました。
 イエス様が地上に来られた、ということは「神の国」が来たということです。つまり、イエス様のことばは「神の国のことば」なのです。ですから、イエス様のことばに従うということは、神の国の祝福を受けることにつながるのです。
 マタイ6:9からは、イエス様が、弟子たちに祈り方を教えて下さっています。
 「主の祈り」の中で、私たちは沢山の学びをすることが出来ます。
「天にいます」とは、遠いところにいる、ということではなく、「霊の世界」を指します。私たちはまず、神様が霊の世界におられるということを知らなければなりません。
「御名があがめられますように。」とは、霊的な世界におられる主をあがめるということです。つまり、私たちも霊的にならなければならない(新しく生まれなければならない)、ということです。
「御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」とあります。神様のみこころは、聖書の中に書かれてあります。私たちは、聖書のことばがこの地に実現する、つまり神の国がこの地に来るように祈ります。
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。~神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:21~24)
 Ⅱ歴代誌7:1には、「ソロモンが祈り終えると、火が天から下って来て、全焼のいけにえと、数々のいけにえとを焼き尽くした。そして、主の栄光がこの宮に満ちた。」と書かれてあります。
 ダビデが準備し、ソロモンが神殿を建て上げ、その神殿に神様が御自分の「御名」を置かれました。神様の濃厚なご臨在がそこにあったのです。
 この教会も、キリストの体としていっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。私たちは、今日も神の国のことばに従って、神を礼拝し、祈りを捧げていきましょう。