主の祈り③

 神様は、聖書を通して「天地創造の神は生きておられる!」ということを語っておられます。私たちは、今も生きて働かれる神様を礼拝し、祈るのです。私たちは霊的世界を見、天におられる父を見ます。
 イエス様はマタイ6章において、この地上で「報い」を受けることを求めるのではなく、天において「報い」を受けることを求め、天に目を向け、地上ではなく、天に宝を積むことを勧めています。
「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸を閉めて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。」(マタイ6:3~6)
 私たちの祈りは、覚えられています。何故なら、全知全能なる神様は、私たちが祈る先に、私たちの願いを知っておられるからです。
 イエス様は、私たちに祈り方を教えて下さっています。
「私たちの負い目を赦して下さい。」
 マタイの18:21~35には、自分は多額の借金を赦されたのにも関わらず、自分にわずかな借金をしている者を赦さず、主人に罰せられた記事が書かれてあります。イエス様は言われます。
「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようにされるのです。」
 神様は、私たちが自分自身ではどうすることも出来ない罪を、イエス様の十字架の贖いによって帳消しにして下さいました。私たちは、赦された者です。ですから、私たちも人々を赦すのです。もし、私たちが人を赦さないなら、天のお父様は私たちの祈りを聞いて下さいません。しかし赦すなら、神様は喜んで私たちの祈りに耳を傾けて下さいます。「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7:7)
 私たちは、まず自分の罪を悔い改め、聖書の御言葉に従って祈りましょう。そうするならば、その祈りは聞かれます。
 神様は、あなたの隠れた所で祈る姿に心を動かされます。何故なら、その祈りは、人に見せるためのものではなく、神様に対する「真剣さ」であるからです。その人は、地上の報いを期待する者ではなく、天に宝を積む者です。
 私たちは、地上で報いを受けることに心を費やすことをせず、御言葉に従順に従い、天に目を向け、天に宝を積む者となりましょう。