心配するな

 「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。」
 マタイの6章の後半部分を見ると、「心配」ということばが何度も出てくることが分かります。「心配」は「心を配る」という字が使われています。
 ルカ10:38~42には、イエス様がある家を訪ねた時のことが書かれてあります。姉のマルタはイエス様をもてなす為に忙しくしていましたが、妹のマリヤはイエス様の足下で御言葉に聞き入っていました。イエス様は、手伝おうとしないマリヤに腹を立てているマルタに対し、「マルタ、マルタ。あなたはいろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良い方を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」と言われました。
 マルタはイエス様を喜ばせようと一生懸命でした。しかし、色々なことに心を配りすぎ、一番肝心なことを忘れてしまっていたのです。
 私たちは、毎日の生活の中で多々心を配る出来事があります。会社の人間関係、こどもの学校のこと、友達関係など。しかし、イエス様が言われるのは「まず、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」です。
 クリスチャンは、信仰を持った故に、今まで煩わないでいいことを思い煩うようになります。世の中の流れに逆らうこともあるからです。
 ある時、嵐の中で恐れ惑う弟子達に対し、イエス様は「信仰の薄い人たち。」と言われました。そして、イエス様がお叱りになると嵐は静まりました。
 イエス様は、病を癒し、悪霊を追い出し、嵐を沈められる方(自然をもイエス様に従う)であり、神の権威を持たれている全能の神様です。「だから」私たちは、この全能の神様を心から信じ、心配しないで、すべてをお委ねすることが出来るのです。33節、34節には「だから」ということばが強調されて書かれてあります。
イエス様はここに強いメッセージを込められています。わたしは全能の神である。「だから」心配しないでわたしに従いなさい、と。
「だから、あすのための心配は無用です。あすのことは、あすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6:34)
 私たちは、今日の恵みに感謝していけば良いのです。 
「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。」(詩篇68:19)
 私たちが重荷を委ね、信頼して従っていくなら、神様の溢れる祝福をいただくことが出来るのです。
「そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)日々、神様に感謝して過ごしましょう。