ほめたたえよ

 神様は、ほめたたえられるべきお方です。
詩篇103篇には「主をほめたたえよ。」という言葉が繰り返し出てきます。そして、ダビデの感謝の心の中に「神様はこうのような方である。」という信仰が見えて来ます。
 信仰の父と呼ばれるアブラハムは、神様にイサクを全焼のいけにえとして捧げなさい、と言われた時「たとえイサクが死んでも、よみがえらせて約束を果たして下さる」と堅く信じました。神様は、イサクを通して、空の星のほうに、子孫を起こすと言われたていたからです。その信仰の通り、アブラハムは主の約束を勝ち取りました。(創世記17:2~5,19、ヘブル11:17~19)
神様は、「信仰」に答えて下さる方です。
 さて、詩篇の103篇を詩ったダビデは、どのような人物だったでしょう。
 彼は部下に慕われ、また国民もダビデを愛しました。彼は忠実に神様に従った人物でした。しかし、彼は失敗を犯してしまいました。
忠実な部下であるウリヤの妻を寝取ったばかりではなく、策略をもってウリヤを殺しました。
彼は大きな罪を犯したのです。しかし、預言者ナタンがダビデに忠告をすると、彼はへりくだり、悔い改めました。するとどうなったでしょう。彼は赦されたのです。
「私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。」(詩編103:10)
 神様は、私たちを愛し、赦して下さるお方です。
もし、私たちが賢く、神のことばを土台として生きるなら、嵐が来ても崩されることはありません。間違えを犯したとしても、もし神様の声を聞いて、それに従うなら、私たちは赦しを得ることが出来るのです。神様のことばを土台として生きることは、とても大切なことです。「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。」(使徒17:11)
 私たちの生きる基準は「聖書」です。「聖書が何といっているのか。」を私たちは調べ、状況に左右されない信仰を働かせる必要があります。「しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。」(詩編103:17)
 神様は、いつも私たちに最善のことを行って下さいます。主を恐れ、仕えるなら、神様はとこしえから、とこしえまで恵みを注いで下さいます。
「主をほめたたえよ!」
私たちは、神様はいつも良いことをして下さる方!という信仰をもって賛美し続けましょう。神様は、あなたと共におられます。