聖霊なる神様(永井信義師)

「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。~」(ローマ8:26~30)
「同じように」とは、今までの苦しみの時にも私たちを助けて下さった、それと「同じように」という意味です。
 私たちの「弱さ」には、「身体的な弱さ」「心の弱さ」があり、クリスチャンには「信仰的な弱さ」があります。そして、この弱さが顕著に表れる時が、私たちがどのように祈ったら良いか分からない時です。「何の為に祈って良いか分からない、本当の必要が何なのか分からない」そのような時に、弱さを覚えます。
 実は、イエス様もヨハネの福音書12:27、28において、私たちと同じような弱さを覚えていました。
「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。」
 十字架を目の前に、本当にイエス様は苦しまれました。イエス様が祈ることばを見失っている、そのような状態です。
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル4:15)
 しかし、イエス様はすぐに神様の御心を思い起こしました。そして祈るのです。「父よ。御名の栄光を現してください。」と。
 私たちは、どのように祈ったら良いか分からない時、格好つけることなく、正直に迷っている自分の心を打ち明け、聖霊様に委ねる必要があります。聖霊様は、私たちを励まし、慰め、「言いようもない深いうめきによって」私たちのために執り成して下さいます。
 パウロは、聖霊なる神様の助けと執り成しについて語った後に、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」と言っています。つまり、聖霊なる神様が働いてすべてのことを益として下さる、ということです。
 聖霊なる神様は、私たちに尽きることのない神様の愛を注いで下さいます。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)
 「神を愛する人々」とありますが、私たちは知らなくてはなりません。まず聖霊なる神様が、私たちに神様の愛を示して下さったので、私たちはその愛の故に、父なる神様を愛することが出来るのです。
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。~」(ヨハネ15:16)
 私たちは、愛されています。聖霊なる神様が共にいて働き、すべてを益として下さるのです。感謝しつつ信仰生活を歩みましょう。