どのようにして(永井明牧会長)

 今から25年前に、拡大宣教学院が創設されました。その時に掲げた伝道スローガンが、「いつでも、何処ででも、誰にでも」です。
 私たちは、イエス・キリストを救い主として伝道します。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」
 では、どのようにして福音を伝えれば良いのでしょうか。
 ヨハネの福音書の4章3節から「サマリヤの女」に対するイエス様の伝道の仕方が記されています。
 イエス様は、弟子達と共にガリラヤに向かいましたが、わざわざ サマリヤを通っていかれました。当時はユダヤ人とサマリヤは人は犬猿の仲にありましたので、サマリヤを通ることはありえない事でした。しかし、イエス様は、一人の女性に福音を伝えるため、目的を持ってサマリヤを通られました。
「サマリヤを通って行かなければならなかった。」(4:4)
 その女性には、恥ずかしい過去があり、毎日人目をさけて水を汲みに行っていました。イエス様は、彼女に声をかけ、時が経てば渇く物質ではなく、いつまでも渇くことのない霊的な水について語りました。彼女は、霊的に渇いていました。そして5回の離婚により、物質的なものでは、その渇きは満たされないことを充分知っていました。彼女は、イエス様に救いを求めたのです。
「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」(4:15)
 イエス様は、彼女に本当に礼拝すべきお方を示されました。
彼女の霊の目は、徐々に開かれていき、イエス様こそが救い主であることが分かりました。すると、彼女は、自分の水瓶を置いて町へ行き、人々に証し始めました。
「さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、『あの方は、私がしたこと全部を私に言った』と証言したその女のことばによってイエスを信じた。~自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」(4:39~42)
①いつでもとは、このような時に人々は導かれるはずがない、というその時です。サマリヤの女が水を汲みに来た時刻は、人々が普段は汲みに来ない時間帯でした。②どこでもとは、誰もが避けて通りたくなるような場所のことです。あの地域は福音を宣べ伝えるのが難しい、そのような所です。サマリヤの町はまさにそのような場所でした。③誰にでもとは、どのような訳あり事情を持った人であったとしても、その人に福音を伝えるのです。そのような人にこそ、本当の救いが必要な人です。人に対し、差別化するような態度をとってはなりません。救いは、誰にでも与えられる神様からの賜物です。
 私たちは、イエス様のように、いつでも、どこでも、誰にでも福音を宣べ伝える者となりましょう。イエス様の伝道スタイルに習って。