生きた神

「~なぜ、国々は言うのか。『彼らの神は、いったいどこにいるのか。』と。私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行われる。~」(詩篇115篇)

 この世の「神」は人の手によって作られた偶像です。人の考え、また人の理性を通して納得できる範囲で作られました。美しくて、優しそうで、今にも手を伸ばして救い出して下さるような、そのような人間の理想に合った「神」です。
 しかし、聖書は「彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。」(詩篇115:4~8)と言っています。それらは、美しいけれども、形だけで、力はないのです。
 しかし、聖書の語る天地創造の神は、生きて働いておられる方です。
そして、苦しみの時には、私たちを助け、私たちに力を与え、救って下さるお方なのです。イエス様がこの地上に来てくださったのは、私たちの罪を赦し、天国へ導くためでした。
 「神の国は、あなたがたのただ中にある」と聖書は語ります。
「神の国」とは神様のご支配されるところを指し、「あなたががたのただ中に」とは、私たちの心を指します。また、「心」とは、私たちの「思い」「考え」です。
 イエス様の十字架の贖いにより、私たちの罪はゆるされました。そのことを「私は救われた!イエス様感謝します!」と繰り返し告白していく時、あなたの心は必ず変えられていきます。つまり「思い」「考え」が変わっていくのです。そして、その心が神様の御心と同じとなる時、その心は神様のご支配される場所、つまり「神の国」となるのです。
 神様は、私たちを愛して下さっています。ですから、神様がいつも私たちに良いことをして下さると信じて感謝していくのです。天地を造られ、私たちを造って下さった創造主に信頼する時、神様の大きな祝福をいただくことが出来るのです。  
「主を恐れる者たちよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。主はわれらを御心に留められた。主は祝福してくださる。イスラエルの家を祝福し、アロンの家を祝福し、主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。」(詩篇115:11~13)
 私たちは、生きた神様、私たちと共にいて下さる神様がおられるということを信じます。
 この年も、益々「生きた神様」を伝えて参りましょう。