わたしの語ることばによって、あなた方は聖い(ルカ17:11~19)

 イエス様がエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られました。ある村に入ると、十人のらい病人が遠く離れた所に立ち声を張り上げて「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と叫びました。
 当時、らい病人は不治の病として恐れられていました。この病気になるということは、死を宣告されたも同然だったからです。彼らが共同体に入ることは許されず、隔離され、人々の前を通る時は、自分の衣服を裂き、髪を乱し、口ひげを覆って「私は汚れた者、私は汚れた者」と言いながら歩かなければいけませんでした。(レビ記13:2~46)それを聞くと、皆が彼らから離れていくのです。
 このらい病とは「罪」(神様から離れた生活)の形を指します。
聖書は「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10)と語っています。神様の目から見たら、すべての人がらい病にかかっているのと同じだというのです。そして、その罪ゆえに、ねたみが心に沸き、憎しみが沸き、怒りが沸き、気づいたら人々は自分から離れていってしまっているのです。
 ここに十人のらい病人が出て来ます。彼らはイエス様の話を聞いてやって来たのでしょう。彼らはイエス様に癒していただこうと期待して待ってました。そして精一杯声を張り上げてイエス様を呼びました。この叫びは、命をかけた叫びだったのです。
 イエス様はその叫びを聞いて言われました。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」と。 
 彼らは、まだらい病に犯されていましたが、イエス様の声に従って祭司に見せに行く決心をして歩き始めました。するとどうでしょう。彼らは行く途中で癒されたのです。
 イエス様のことばには、力があります。
このらい病人は、私達の姿です。私達の心には汚れがあります。しかし、イエス様は「わたしの語ったことばによって、あなたがたは聖い」として下さったのです。イエス様のことばを信じ、イエス様から目を離さないで生きるなら、私達の汚れている心はイエス様の愛によって聖められるのです。イエス様は完全な方です。ですから、私達はイエス様から目を離してはなりません。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2)
 イエス様は、私達の叫びを聞いて、御手を伸ばされるのです。