聖書を学ぶ目的

1.イエスがキリスト(救い主)であることを知るため
「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」(ヨハネ20:31)
 聖書はなによりもイエス様がキリスト(救い主)であることを教えるために記された書物です。イエス様以外に救いはありません。イエス様以外に創造主なる神様との関係を回復する方法は人間には与えられていません。この回復の業はイエス様を信じて終わりではなく、私たちの全生涯を通じて進められる神の御業です。みことばをとおして私たちはイエスがキリストであることを体験し続けるのです。

2.神を恐れることを学ぶため
「あなたがホレブで、あなたの神、主の前に立った日に、主は私に仰せられた。『民をわたしのもとに集めよ。わたしは彼らにわたしのことばを聞かせよう。それによって彼らが地上に生きている日の間、わたしを恐れることを学び、また彼らがその子どもたちに教えることができるように。』」(申命記4:10)
創造主なる神に対する健全な恐れは自動的に身につくものではありません。学び獲得するものです。神を恐れなければならない理由は聖書に明記されています。それは神が私たちを滅ぼす権威(マタイ10:28)と赦す権威(詩篇130:4)とを持った「裁き主」だからです。神への恐れが欠如してしまうと、どんなに聖書の知識に優れ、豊かな賜物を持った人であったとしても、すぐに罪を犯し、堕落してしまうでしょう。

3.幸せになるための霊的法則を学ぶため
「あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。」(イザヤ48:18)
創造主なる神様はこの天地万物を創造された時に物理的な法則だけでなく霊的な法則も創造されました。「人を呪えば、その呪いが返ってくる」「与えれば、与えられる」という霊的な法則は昔のことわざや世の中の自己啓発書などでもとりあげられますが、クリスチャンはその霊的な法則をより正しく知り、より活用できる立場にあるのです。
(説教奉仕:日南チャペル 高森恒喜)