信仰をもって見上げる

 ヘブル11章には、信仰の定義が書かれています。
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)
 「信仰」とは、「神」という存在を私たちは目にすることは出来ないけれども、確かにおられるということを信じて、その方の御言葉に従って行く、ということです。
 私たちが信仰をもって、神様の御言葉に従って行く時に、「なるほど!主は確かに生きておられる!」と確認することが出来るのです。
 聖書には、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:2)
 信仰の創始者であり、完成者であるイエス様を見上げる人が少ないという現実があるので、聖書はこのように私たちに語っています。「イエスから目を離さないでいなさい。」と。
 クリスチャンであっても、何か困難なことがあったり苦しいことがあると、イエス様を見上げず、自分の力で何とかしようとしたり、他の人の力に頼ってしまう人がいます。
 しかしイエス様は、「そんな時こそ、わたしから目を離してはならない、信仰をもってわたしを見上げなさい。」と言われるのです。
 聖書には、イエス様がどんな方であるかが書かれています。
「私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル4:15)
「わたし(イエス・キリスト)は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコ2:17)
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)
 聖書を通して、イエス様を深く知ると同時に、神の国の素晴らしさを知ることが出来ます。イエス様だけが、私たちを救うことの出来る方、イエス様だけが、私たちのすべてを満たして下さるお方です。
 私たちは、どんな時も信仰をもってイエス様を見上げましょう。