安息日を覚える

「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト20:8)

 「安息日」とは、「神様が天地創造をされた7日目に、その業を休まれた」ということから、始まっています。(創世記2:1~3)
 人は、6日目に神様によって造られました。そして次の日が安息日です。ですから、人はまず「安息日」からスタートしたのです。
人は「安息日」に、神様と特別な交わりの時を持ちました。
 私たちにとって、「安息日」は「祝福の日」です。
「神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。」(創世記2:3)
 この日は、世の中での働きから離れ、神様との特別な時間を過ごします。神様と親しい交わりをし(※神様は人間に「霊」つまり、神様と交わる特別な器官を与えられた)、力をいただき、そして、また世の中へと出て行くのです。神様は、私たちに祝福を与えて下さる方です。 
 「安息日」を守らない、ということは、旧約の時代には大変な罪とされていました。モーセの時代には、安息日にたきぎを集めていた男が石打ちの刑で殺されました。(民数記15:32~36)
 神様の命令を守るということは、私たちの霊を守ることにつながります。神様の教えから離れそうな者を、サタンが待ち伏せしているからです。神様は、私たちを永遠のいのちへと導きます。しかし、サタンは永遠の滅びへと道づれにしようとしているのです。神様の命令にに従うことは、縛られるためではなく、永遠の自由を得るためなのです。
 「十戒」は、私たちに「罪」を示します。そして、守ろうとしても守れない、私たち人間の弱さを痛感させるのです。しかし、神様は、罪を示すだけではなく、罪から解放される方法も与えて下さいました。それが、イエス・キリストです。自分では、どうすることも出来ない罪を、イエス様の十字架の贖いを信じるだけで、救われる素晴らしい福音を与えて下さったのです。
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。」(ガラテヤ3:13)
 神様の命令に従うことは、神様の愛の中にとどまることであり、永遠の自由を得ることであり、約束の祝福を受けることなのです。
「わたしの安息日を守り、~絶えることのない永遠の名を与える。~安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。」(イザヤ56:4~7)(イザヤ58:13、14)
 安息日を守ることは、私達にとって天国の祝福なのです。