刈り取り

「~思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。~」(ガラテヤ6:1~10)
 どのような作物も、種を蒔く時期があり、そしてやがて刈り取る時期が訪れます。「種を蒔けば、刈り取る」それが自然の流れです。
 人も、自分の行いによって蒔いたものは、その結果を刈り取ることになります。
 最近では、毎日のように殺人事件が起こっています。とても残念なことですが、これら犯人も、最初から殺人者として育ったのではなく、小さいころから、心に蒔かれたもので、結果を生み出しているのです。
 彼らの共通点は「愛に飢えている」ことです。どのような罪を犯した人も、彼らは初めに「愛に飢えていた」のです。その満たされない者を、他のもので満たした(テレビゲーム、悪魔的な漫画、インターネットetc)結果、それが表に出た時には、悲惨なものになるのです。
 人々の求めている「愛」は、「人の変わらない愛」です。
人々は、それを親や兄弟に、また友達に求めますが、残念ながら、それらの愛は、状況や環境で変わってしまうものです。
 しかし、天地を造られた神様の愛は「アガペー」の愛です。
一方的な愛、そして無条件の愛、永遠に変わることのない愛です。
 人間は、愛なる神様から離れて生活をしていました。そこには、悪があり、罪がはびこり、滅びに至る生活だったのです。人々は、自己中心的になり、悪の種を蒔き、その罪の結果、「永遠の滅び(地獄)」を刈り取らなければなりませんでした。
 しかし神様は、あわれみの目をもって、そのような人間に目を留めて下さいました。神様は、自ら人間の姿をとって(イエス・キリスト)この地上に来られ、人間の罪をその身に背負い、十字架にかかって下さったのです。人間が刈り取らなければならなかった罰を、代わりに受けて下さいました。そればかりではなく、3日目によみがえり、今も私たちを愛し、天においてとりなしの祈りをして下さっているのです。イエス様の救いを信じることは、本当に素晴らしいことです。
 私たちは、神様に愛されている者です。ですから、肉のために蒔く者(ガラテヤ5:19~21)ではなく、御霊のために蒔く者(ガラテヤ5:22、23)になりましょう。そうするならば、私たちは御霊から、永遠のいのちを刈り取る者となるのです。
 私たちが刈り取らなければならない、罪の罰を神様が代わりに刈り取って下さいました。私たちには、神様のあわれみによって、永遠のいのちが与えられました。
 私たちは、神様の御言葉に従い、御霊に歩む者として、永遠のいのちを人々に伝え、多くの魂を刈り取る者となりましょう。