主に信頼する

 この日本では、お盆の時期になると、宗教的な儀式が当たり前のように行われます。
 しかし、聖書には偶像についてはっきり明記されています。
「彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。」(詩篇115:4~8)
 仏教の教えには、「なるほど」と唸らせるものもあります。しかし、どんなに良い教えであっても、人間が造ったものには、「救いの力」はないのです。
 天地を造られた神様は、その発せられることばに力がありました。そのことばによって、この世界は造られ、そのことばによって私たちは救われたのです。
「あなたがたが主によって祝福されるように。主は、天と地を造られた方である。」(詩篇115:15)
 神様は、目にみえる存在ではありません。しかし、目に見えない方を信じてこそ、それが「信仰」なのです。
 イエス様の十字架と復活も、私たちは見ていません。しかし、神のことばである聖書に書かれているので、それを信じています。
 詩篇の115篇には「主に信頼せよ。」ということばが何度も書かれてあります。主に信頼する者が祝福されるのは、神様の約束です。
 主に信頼する者は、すべての束縛(不安、恐れ、罪)から解放されます。
 サタンは、私たちを悪によって誘惑し、罪の奴隷にしようとします。しかし、神様の御心は、私たちを祝福し、罪から自由にすることなのです。サタンは、私たちの弱みにつけこもうとします。
 イエス様が40日の断食を終えた時、サタンが近づいて来ました。
「すると、試みる者(サタン)が近づいて来て言った。『あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。』イエスは答えて言われた。『「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と書いてある。』~」(マタイ4:1~10)と、聖書のことばを用いてサタンを退けました。
 サタンは、私たちの弱みに付け込んで、罪を犯させ、罪の奴隷とし、滅びの道へと引きずり込もうとします。しかし、みことばは、サタンの束縛から解放し、勝利をもたらします。
「すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。」(マタイ4:11)
 神様のことばには私たちを救う力、サタンに勝利する力があります。ただ、主にだけ信頼し、主と共に歩む信仰生活を送りましょう。