試練を通して

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。~その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたとことのない、成長を遂げた、完全な者となります。~」(ヤコブ1章)
 「試練」に会うことは、私たちにとってはとても辛いことです。
しかし、神様のなさることには無駄なことは一つもなく、そのことを通して私たちに「教え」を与えて下さいます。
 一つは、「人間の限界、そして人間の弱さ」です。
そしてもう一つは、「弱さの中に働く、神様の限界のない力」です。
神様は、試練を通して私たちを神様により近く導こうとされます。
 旧約聖書に、ヨセフという人物が登場します。
彼は、父ヤコブのもとで、兄弟の中でも特別の寵愛を受けて育ちました。しかし兄弟達は、そのことに対しての嫉妬心と、彼が話すビジョンについての怒りの故に、ヨセフをイシュマエル人の隊商に売り渡してしまいました。ヨセフはエジプトで奴隷として仕える身となったのです。しかし、彼はそのような一番惨めな弱い中においても、神様に信頼し続けました。神様は、その信仰に答えて、そこから脱出の道を与え、そればかりではなく、エジプトの国を任せられるほどの地位に引き上げて下さったのです。
 私たちの人生の中に「試練」は突如としてやってきます。
やってもいないことで責められたり、理解してもらえず辛い思いをしたり、精神的なもの、肉体的なもの、様々です。
 しかし、私たちは目の前にある状況ではなく、私たちにビジョンを与え、将来を約束して下さっている神様を見上げ、神様のことばに耳を傾けるのです。神様は、私たちを見放すことも、見捨てることもなさいません。その証として、愛する独り子イエス様を救い主として与えて下さったのです。
 私たちは、ヨセフのように神様の前に忍耐をもって忠実な信仰の歩みをする必要があります。そうするならば、神様は責任を持って私たちを守り導いて下さるのです。
「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1:12)
「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」(ヤコブ1:21)
 どのようなことが起ころうとも、私たちには全能なる神様が共におられます。神様のみことばに従い、実行する者となろうではありませんか。そうするならば、私たちは成長し、神様に近づく者となります。