心の目(エペソ1:17~23)

 「神様を知る」ということは、自分の努力ではなく、神様が啓示を与え、聖霊の働きによって与えられるものです。
「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えて下さいますように。」(エペソ1:17)
 そして、神様を信じ、新しくされ、霊の目が開かれた時、人々は神様が与えて下さる望み、聖徒の受け継ぐべき栄光、神様の全能の力の偉大さを知ることが出来るのです。 
 私たちは、霊が開かれた時から、今までの価値観とは全く違う価値観を持つことになります。「愛されている存在」「神様の恵みに生かされている」「遣わされている」「私たちの国籍は天である」etc・・・
それに伴って、主と共に歩む、感謝溢れる生活を送ることが出来ます。 神様はすべてを知り、そして私たちをご覧になり、導いておられる神様です。
 ハガルがサラから逃げている時、主の使いを通して彼女に語られました。神様は、彼女の身に起こること、また彼女がこれからしなければならないことを教え導きました。ハガルは「あなたは私をご覧になられる方」と言い、神様を恐れました。(創世記16章)
 神様を信じていても、私たちがこの世にいる限り問題が起こってきます。問題のないクリスチャンの方が珍しいでしょう。しかし、私たちには、私たちのすべてを知り、そしていつもご覧になり、導いて下さる全能なる神様がおられるのです。すべての問題の解決は主にあり、私たちが求めるならば、助けの御手をのべて下さるのです。ですから、主によって、クリスチャンは問題を恐れず、感謝溢れる生活を送ることが出来ます。
 また、霊の目が開かれることにより、私たちは「この世」だけではなく、「次に来る世、永遠の世界」を見ることが出来ます。
死んで終わりではない、死後には永遠の世界があることを聖霊によって知ることが出来ます。
 神様を知らない人々は、少しでも長生きをしようとします。運動、食事に気を使い、健康に生きようと努力をするのです。しかし、聖書は、死んで終わりではない、と語ります。
 神と共に歩む者は、神の都が用意されており、そこに、私たちは希望を見出すことが出来るのです。
「しかし、事実、彼らは、されにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。~事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」(ヘブル11:16)
 私たちは、信仰と聖霊の力により、「心の目」がはっきり見えるようになる必要があります。それによって、神様のことばに対し、「これが真理である!」と大胆に告白することが出来、人々に対し、「死後の世界」について「神様の愛」について確信を持って伝えていくことが出来るのです。神様に心を開き、聖霊様に明け渡しましょう。