福音宣教(永井明牧会長)

「そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」(マルコ16:20)
 この「福音」をしっかりと理解するには、新約聖書の福音書を総合的に見る必要があります。
 マタイの福音書の1章には「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」が書かれてあります。この系図は、マタイがユダヤ人として、「旧約聖書が預言する神様が選ばれた真の王」について伝えるために、必要不可欠でした。
 旧約の時代には、イスラエルの王が沢山誕生しました。初代王のサウル、彼は傲慢の故に退けられました。それゆえ、次の王には、エッサイの末の子ダビデが選ばれ、預言者サムエルによって油が注がれました。ダビデは神様と共に歩み、国は栄えました。しかし、三代目のソロモン王の死後、イスラエルは南ユダと北イスラエルに分裂しました。それぞれの国の王は、神様を忘れ、王の「権威」によって人々を治めようとしましたが、その権威は他の国々によって滅ぼされました。
マタイは、滅ぼされる権威ではない、「いつまでも滅ぶことのない王の王なるイエス、そして愛によって治める方」について、その誕生から十字架復活に至るまで紹介しています。
 マルコの福音書の1章には、「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。」と書かれてあります。
 当時は、イスラエルはローマの支配下にありました。人々は皇帝に対し「キュリオス(主)」と呼ばなければなりませんでした。しかし、マルコは、「私たちの主は、救い主イエス・キリストだけだ!」と叫んだのです。彼は恐れず大胆に証言しています。
 異邦人であるルカは、使徒パウロを助け、共に宣教のために働いた人物です。彼は、「完璧な人としておいでになったイエス・キリスト」について書いています。イエス様は、処女マリヤを通してお生まれになり、やがて、人々によって告発され、十字架にかけられました。イエス様は、私たちの罪を背負い、十字架にかかられるために、人の姿をもってこの地上に来られました。イエス様の十字架は、私たちを罪から贖い出す、なだめの供え物です。
 私たちは、福音書に書かれてあるイエス様について理解し、その福音を宣べ伝える必要があります。その為に立ち上がるなら、聖霊による力が注がれます。「すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、~また病人に手を置けば病人は癒されます。」(マルコ16:17、18)イエス様は、福音の証人となるようにと弟子達に言われました。そして弟子達は、約束の賜物である聖霊を受け、大胆に福音を伝える者となりました。「彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。」(マルコ16:20)
 私たちは、出て行って福音を宣べ伝えます。福音を伝えなければ誰もイエスの御名を呼ぶことが出来ません。御名を呼ぶことが出来なければ、救われる魂は起こされないのです。私たちには人々に福音を伝える使命が与えられています。恐れることなく、出て行きましょう。