永遠のいのちを得るためには(ルカの福音書10章30~37節)

イエス様に、律法の専門家が、こういう質問をしました。「イエス様。何をしたら永遠のいのちを受けることが出来るのでしょうか。」と、そこでイエス様は、逆に彼に質問します。「律法には何と書いてあるか。読んだことが在りますか。」そこで彼は、得意満面で、「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」と答えました。イエス様は、「その通りです。それを実行しなさい。」と言われました。するとまた、「それでは、私の隣人とは誰のことでしょうか。」と彼は問うたのです。律法は知っているしかし、肝心要の事が分からないのです。
律法の集約は10戒です。(出エジプト記20章1節から17節)、始めの1戒から4戒までは神様、5戒から10戒までは人に関する戒めです。が、これは共に「神を愛し人を愛しなさい。」(マタイ22:40)に要約できるのです。
 そして、人を愛するためには、始めの4戒が守られて真の礼拝が成されていなければ出来ないことなのです。そこで神の御心を知って人をも愛する者と変えられるのです。
  この律法の専門家は、形式的な信仰で知識は持っていましたが、真意を悟ることが出来なかったのです。そこでイエス様は、「よきサマリや人」の例話をもって彼に諭されたのです。(ルカの福音書10章30から37節)
 ある人が、エルサレムからエリコに下る道で強盗に襲われ、なにもかも奪われ半殺しにされ裸で苦しんでいるとき、彼を助けたのは日頃「神の道を説いている祭司」でもなければ、「神に仕えることが仕事のレビ人 」でもなく、日頃は、犬猿の仲のサマリや人でした。旅人は、最初に来た祭司を見て「祭司様が助けてくれるだろう」と思ったのに、彼は横をよけて通りました。自分の身に危険が及ぶかもしれないと思ったのでしょう。次に、宮に使える、レビ人がやって来ました。「彼が助けてくれるだろうと思ったのです。」しかし、レビ人も避けていったのです。そこに又、人が近づいてきました。けれども彼はがっかりしたのです。それは、ユダヤ人とは仲の悪いサマリヤ人だったのです。けれども彼は、傷つき裸で、死を待つばかりのような傷ついた旅人を見て、哀れに思って傷の手当てをして、そして自分が乗っていた乗り物に乗せて宿屋まで送りお金を支払い足りない時はあとで支払いますと、宿の主人に頼んで行ったのです。この例え話をしてイエス様は「誰がこの旅人の隣人になったか」と問われました。律法の専門家は「哀れみをかけた人です。」と答えますと、イエス様は、「あなたも行って同じようにしなさい」と言われした。
 律法を行い永遠のいのちを戴くことは至難の業です。しかし、罪人のために身代わりとなって十字架で死んで下さったイエスキ・リストにより その信仰によって永遠のいのちを戴ける身を感謝しましよう。そしてこの永遠のいのちから溢れる神の愛を持って人に仕えていこうではありませんか。

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