神様に従う(マタイ19:16~)

 ひとりの人がイエス様のもとに来て言いました。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
 その質問に、イエス様は、戒め(十戒)を守ることと答えられましたが、青年は「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」と、質問します。すると、イエス様は答えられました。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を全部売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」と。ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行きました。この人は多くの財産を持っていたのです。
 この青年は、戒めをしっかり守っていた立派な青年でした。しかし、イエス様は、人のうわべではなく、心を見られるお方です。イエス様は、青年の心の中心に何があるかを見ていました。彼の心の中心には「お金、財産」があり、彼はこの「財産」を頼りに生きてきたのです。イエス様に従う者は、心の中心にイエス様をお迎えし、イエス様ただお一人を頼りとして生きていきます。ですから青年は、彼の心の中心であり、そして頼りにしてきた財産を捨てる必要がありました。しかし、彼は完全にイエス様に従うことが出来ず、そこを去って行ったのです。(19:22~24)
 青年は、「永遠のいのち」を求めて来ました。しかし、イエス様は「永遠のいのち」とはお金で買えるものではなことを彼に示されたのです。
 弟子達は、イエス様の「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」ということばを聞いて「それでは、だれが救われることが出来るのでしょうか。」と驚きました。するとイエス様は「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」と言われました。
 神様のことを理解するのに「この世的考え」は必要ありません。何か良いことしたから救われるのではなく、神様の愛と哀れみのゆえに、ただイエス様を救い主と受け入れた者だけが永遠のいのちに預かることが出来るのです。神様の業を見るのに「この世的考え」は必要ありません。状況がどうであれ、問題がどんなに大きかろうと、神様のことばに従う者だけが奇蹟を見ることが出来るのです。
 神様に従うためには、聖霊様の力が必要です。聖霊様の力によって、どんなことでもすることが出来るのです。イエス様によって救われた私達は、もはや古いものは過ぎ去って、新しく生まれた者です。
 神様は、新しく生まれた私達を用いようとしておられます。時には犠牲を払うこともあるでしょう。しかし、聖霊様に満たされるならば、喜んで神様のことばに従うことが出来るのです。聖霊に満たされ、今年も神の国とその義とをまず第一にして、主に従って参りましょう。
  

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