イエス様の祈り

「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」(ルカ22:39~46)
 イエス様は、十字架にかかられる前に、オリーブ山に行かれて祈りの時を持たれました。その祈りとは「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」という切なる祈りであり、イエス様は苦しみもだえて、汗が血のしずくのように地に落ちたのです。
 十字架の贖いがどれほどご自分にとって苦しみであるか、死を経験することによって神様から引き離されることがどれほど辛いことであるか、地獄というところがどれほど恐ろしい所であるか、イエス様はご存知でした。ですから、必死で祈られたのです。またイエス様は、ご自分が選ばれた弟子達のためにもとりなし祈られたことでしょう。
特にこれから裏切ろうとしているユダのために・・・。ユダは自分の欲(「サタンが彼の中に入った」)に縛られていました。イエス様にとって、ご自分が選び、愛された弟子がサタンに捕らわれていくのを見るのはどれほど辛かったことでしょうか。ユダだけではなく、ペテロもそうでした。弟子たちが、イエス様を捨てて逃げてしまったのです。ユダは、残念ながら悔い改めることをしませんでしたが、ペテロは、イエス様の前で悔い改め、信仰を立て直すことが出来ました。「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31、32)
 神様は、信仰から離れている人、弱っている人を力づけたいと願っておられます。教会は、信仰を力づける場所です。
 人間は、人間を完全な道へと導く力はありません。すべての問題は罪から始まっているからです。罪からの解放はイエス様の十字架の血潮のほかないのです。イエス様が私達を真理の道へと導いて下さる唯一の方です。
 私達は、私達の人生のすべてをご存知であり、私達にすばらしい人生のご計画を持っている神様により頼む必要があります。
 イエス様は、私達のために今も天でとりなして下さっています。
ですから、私達はますますこの地上で目をさまし、神様に祈りつつ、
サタンの誘惑に勝利していきましょう。主は近いのです。

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