イースター礼拝

「すると、御使いは女たちに言った。『恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。』(マタイ28:1~10)
 今から約2000年前。イエス様は、十字架につけられて確かに死なれました。しかし三日目に、イエス様に仕えていた人々や弟子達は、イエス様がよみがえられたことを目の当たりにすることになります。
 復活のイエス様が弟子たちに現れた時、トマスという弟子はそこに居合わせておらず、ほかの弟子達が「復活のイエス様を見た。」と言っても、その証言を信じようとしませんでした。しかしその八日目に、イエス様は再び弟子たちの前に現れ、特にトマスに対し、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」と愛を持って教えられました。 常識的に考えるならば、トマスの「私は、確かにこの目で見なければ信じない。」という思いは正常でしょう。はじめ、弟子達も婦人達の言うことを信じませんでした。見なくて信じることは、とても信仰のいることです。
 しかし、イエス様は確かによみがえられたのです。イエス様こそ、ユダヤ人がメシヤとして待ち望んでいた救い主だったからです。イエス様は、死を打ち破り、ご自身こそが神の御子であることを示されました。
 イエス様が十字架にかかられた時、イエス様を取り巻いていた人々は絶望の中にいました。イスラエルを再建してくれるだろうと期待していたリーダーを失ってしまったからです。
 しかしイエス様は、度々弟子たちにご自分が十字架にかかられること、また復活されることをあらかじめ言っていました。残念ながら、霊の目が開かれていない弟子たちには、理解することが出来なかったのです。彼らは、復活の主に合い、聖霊を受けたときに、霊の目が開かれ、旧約で預言されていた救い主こそ、イエス様なのだと確信し、大胆に福音を宣べ伝えることが出来るようになりました。彼らは復活の主を確かに見、天国の教えをいただくことが出来ました。
 イエス様は、私達の罪のため十字架につけられました。しかし、確かに復活され、今も生きて働いておられる方です。生きておられるので、今も神様に罪赦され救われて、多くの奇跡がなされるのです。私達は、生きておられる全能なる方がおられることを喜んでいきましょう。

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