あらかじめ言っておいたではないか。

「~彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。」(ルカ24:13~31)
 イエス様は、ローマ兵により十字架につけられ、確かに死なれました。しかし、その週の明け方早く、幾人かの女性が香料を持って墓に着くと、墓にはイエス様の身体がありませんでした。彼女達が動揺していると、まばゆいばかりの光を放った天使が「イエス様はよみがえられました。ここにはおられません。」と言うではありませんか。彼女達は、急いで墓から戻り、一部始終を弟子達に話しましたが、それはたわごとのように思われ、信用されませんでした。
 イエス様は、十字架にかかられる前に、あらかじめ「十字架につけられること、三日目によみがえること」を言われていました。しかし、誰一人としてこのことばを理解することが出来ていませんでした。
 二人の弟子達がエマオに行く途中、この出来事について話し合ったり、論じ合ったりしていました。その時にイエス様が彼らに近づき、彼らと共に歩かれました。しかし、彼らの霊の目は閉ざされていたので、イエス様に気づくことはありませんでした。彼らはイエス様とは気づかずに、今まで自分達が論じ合っていたことを話しました。すると、イエス様は、「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」と言われ、モーセおよびすべての預言者からはじめ聖書全体の中でご自分について書いてあることがらを彼らに解き明かされました。
 そして、イエス様が彼らとともに食卓に着かれると、パンをもって祝福し、裂いて彼らに渡されました。すると、彼らの霊の目が開かれ、イエス様だということが分かったのです。彼らは「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」と、喜びの中でイエス様との霊の交わりを振り返ったのです。
 聖書のことばは、私達の霊を燃え立たせます。その聖書がイエス様について語っているのです。イエス様もあらかじめご自分の十字架と復活のことを言われておられました。そして、その通りのことが実現したのです。
 私達は、よみがえりの主によって信仰が与えられています。聖霊の力によって私達は福音宣教のために遣わされているのです。神様は、約束されたことを必ず成就して下さる方です。霊の目でイエス様を見ましょう。そしてあらかじめ聖書を通して言われている、神様の約束のことばを霊の目を開いて受け取りましょう。必ずその通りになります。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。