「ことば」なるイエス様

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネの福音書1:1~3)
 「信じる」ということは、難しいことではありません。幼子でも信じることが出来ます。聖書には、「イエス様を信じる者は、神の子とされる特権が与えられる。」(ヨハネの福音書1:12)と書かれてあります。
 聖書のことばは「光」であり、「力」です。イエス様は、「わたしは世の光である。」と言われました。イエス様が行かれるところには、癒しがあり、解放があり、よみがえりの奇跡があり、人々はイエス様を通して「光」を見ることが出来、「いのち」を得ることが出来たのです。
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(1:4、5)
 「ことば」によって、この世界は造られ、その「ことば」なる神様が肉体を持ってこの地上に降りてきて下さいました。それが今から約2000年前に起こった「クリスマス」です。神様は見えない方ですが、見える形で来て下さったのが「イエス・キリスト」です。この方が神の御子であり、私たちを罪から解放して下さった方なのです。
 イエス様と3年半生活を共にしたペテロが、「この方には罪がなかった。」と証言していることは驚くべきことです。イエス様、天国から降りて来られた罪なき神の御子です。
 イエス様は、人類の「罪」の為に、十字架にかかって下さり、罪の罰を変わりに受けて下さいました。そればかりではなく、死を打ち破り、よみがえって下さり、今は天において私たちのために執り成して下さっています。私たちが、自分の罪を悔い改め、イエス様の十字架と復活を信じるなら、私たちは聖書の約束の通りに神の子どもとされる特権にあずかることが出来るのです。そして、その影響は家族にまで及びます。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)
 私たちは、救われることによって「自分ではないもう一人の自分」に出会うことが出来ます。そのもう一人の自分とは、「新しくされた自分」です。その新しい自分は、人を赦すことが出来ます。人を愛することが出来ます。人を祝福することが出来ます。そして主の力によって行動することが出来ます。(マタイ6:12、5:44)
 時に私たちは、神様が祈りを聞いて下さらないような感覚に陥ることがあります。しかし、聖書には「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ59:1、2)と書かれてあります。「罪」が神様との隔てになるのです。しかし、神様は私たちの罪を赦して下さる方です。(Ⅰヨハネ1:9)
 天地を造られた全能なる神様は、あなたと共におられ、どんな時も力強い御手で助けて下さる方です。この方に信頼していきましょう。

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