全てを尽くして(申命記6:4~9)

 人は「平安」を得るために、名誉や地位、学歴、富を求めます。しかし、聖書は「本当の平安」が、この天地を造られ、私たちを母の胎の中に形作り、私たちの将来を知っておられる全能なる神様の愛のうちにあることを、はっきりと示しています。
 そして、 全能なる神様の愛を、見える形であらわして下さったのが、「イエス・キリスト」様です。イエス様は、罪によって父なる神様の愛から離れてしまい「本当の平安」を見出せなくなっている人間のために、その原因となる「罪」を背負い、自ら十字架にかかって罰を受けて下さいました。イエス様を信じる者は、「罪」が赦され、神様の愛に立ち返ることによって、乳飲み子が母親の胸の中にあって安心するように「本当の平安」を見出すのです。神様は、人々に対し、その愛に応えるように命じます。
「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。~」(申命記6:4~9)
 律法学者の専門家が、イエス様を試そうとして「律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」とたずねた時、イエス様はこの旧約のことばを引用して答えました。
 神様は、すべてを尽くして神様を愛することを、私たちに求めておられます。その「すべて」には「私たち自身」も含まれています。自分の命よりも神様を愛するのです。なぜなら、神様はそれぐらいしてもまだ足りないほど、素晴らしい価値のあるお方だからです。
 「カインとアベルの捧げ物」は有名な話です。カインは自分の持っている作物を捧げました。しかし、アベルは自分の家畜の中でもっとも上等な優れている物を選んで捧げました。神様は、アベルの捧げ物を受け取りました。その捧げ物には、神様を愛しているという「心」が込められていたからです。(創世記4章)
 アブラハムは、「あなたの愛する子、イサクを捧げなさい。」という試みを受けました。しかし、アブラハムは自分の子よりも神様を信頼し、神様のことばに従いました。神様はそのアブラハムの心を喜ばれました。アブラハムがすべてを尽くして、神様を愛したからです。(創世記22章)アブラハムは、信頼した通り、イサクを取り戻しました。
 私たちは二人の主人に仕えることは出来ません。(マタイ6:24)仕えるべきお方は、私たちの罪の為に十字架にかかって下さったイエス様ただお一人です。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
 神様の愛は、この世の地位、名誉、力、富よりも遥かに勝って価値のあるものです。
「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ14:21~24)
 私たちは、神様の愛を知り、新しく変えられました。ですから、すべてを尽くして主を愛し、主に従って行く者として前進しましょう。

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