神様に導かれる人生

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)
 神様は、人の子となって、人間としてこの世に来てくださいました。
イエス様は、神の力を持っていたので、あらゆる患いを持っている人、病人や悪霊につかれた人々を癒す力がありました。イエス様はご自分の元に集まってくる人々を一人残らず癒されたのです。神様を信じる時、理屈ではなく、言葉そのものを素直に受け入れるところに神様の奇跡を私達は体験することが出来ます。「幼子のようにならなければ神の国をみることは出来ない。」と聖書にあるように、素直に受け入れて実際に行動にうつしていくところに、神の力が現され、私達の人生を正しい道へと導いて下さるのです。
 イエス様は、エリコの町にいるザアカイに目を留められました。
彼は、取税人のかしらで、不正な富を得ていました。ですから、人々から嫌われている存在でした。しかしザアカイは、地位もお金も得ましたが、「自分を認めてくれない。愛してくれない」そのような思いで、心は満たされていなかったのです。
 そこで、イエス様の噂を聞いていたザアカイは、エリコにイエス様が来られるのを聞いて群集の前方に走り出て、いちじく桑の木に登りました。彼は背が低かったからです。イエス様は、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われました。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」(ルカ19:5)初めて会ったにもかかわらず、イエス様はザアカイの名前を呼びました。
 ヨハネの福音書に、サマリヤの女の話がでてきます。彼女には過去に5人もの夫がいましたが、上手くいかず、今では男性と同棲しているような状況でした。それで、人々からはさげすまれ、中傷されていたのです。彼女は井戸の水を汲むときも昼下がりの暑いときに、人の目に触れないようにしていました。そこで、イエス様と出会います。聖書に「サマリヤを通って行かなければならなかった。」とあるように、イエス様はサマリヤの女と出会う為だけにそこを通られました。彼女が神様を求めていたからです。イエス様は「わたしに水を飲ませてください」といわれ彼女はそのようにしました。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネ4:13、14)イエス様と出会って彼女は変わりました。神様に出会うとき私達は変えられます。
 イエス様は、失われた魂を救うために来られました。私達が神様に導かれる人生を歩む時、素晴らしい祝福を受け取ることが出来るのです。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。