主があなたと共におられる

「にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな。主があなたのわきにおられ、あなたの足がわなにかからないように、守ってくださるからだ。」(箴言3:25、26)

 神様は、「わたしはあなたと共にいる。」と語りかけて下さいます。そのことばは、私たちにとって力強いことばです。何故なら、共にいて下さる神様は天地を創造し、造られた方だからです。
「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19:1)
 私たちにと必要なものは、神のことばに対する全っき信頼と「主がともにおられる」という信仰です。
信仰によって、アブラハムは、試みられた時に約束の子イサクを捧げました(創世記22章)。神様は、アブラハムに対し「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われましたが、彼は「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる」(ヘブル11:19)と考え、命じられたとおりに行ったのです。彼は、信仰の故に、約束の子イサクを取り戻しました。アブラハムは、共におられる主は、死人をもよみがえらせることの出来る方だと信じていました。
 信仰によって、ヤコブの子ヨセフは、兄に裏切られ、奴隷生活を強いられましたが、エジプトの地において偉大な祝福をいただきました。彼は常に「神が私と共におられる」という信仰に立っていたので、その通り、彼は守られ、祝福されました。「主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し~」(創世記39:21)
 また、私たちと共にいて下さる方は「愛なるお方」であることを信じなければなりません。
 神様は、ニネベの町を見捨てることはしませんでした。ニネベはアッシリヤの首都で、残虐行為によって国々を制圧するような、神様によって滅ぼされて当然の国でした。しかし、神様はヨナという預言者を送り、彼らが真剣に悔い改めたので、ニネベの町を滅ぼすことをしませんでした。
 そこで面白くないのはヨナです。イスラエルもアッシリヤによって散々な目にあってきたからです。しかし神様の愛は、ヨナが思う以上に広く深い愛であることを彼は思い知らされます。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」(ヨナ書4:10、11)
 私たちは、私たちを愛して下さっている方が共におられることを感謝しましょう。愛は恐れを締め出します。私たちは、恐れることはありません。

コメントを残す

コメントを投稿するにはログインしてください。